学長特別対談(髙木祥吉 日本格付研究所社長)
2019年(平成31年)2月7日,鳴門教育大学の山下一夫学長と日本格付研究所の髙木祥吉社長が対談しました。
髙木祥吉氏の話をうかがっていると私だけでなく,子供たち,保護者,教員の皆さんにとって,モデル・手本となることが多々あるように思います。
- 山下 一夫(やました かずお)
- 国立大学法人鳴門教育大学長
- 髙木 祥吉(たかぎ しょうきち)
日本格付研究所 社長
(元ゆうちょ銀行社長)
髙木 祥吉 氏 略歴 1948(昭和23)年5月 徳島市南前川町生まれ |
山下 お忙しい中,時間をとっていただきまして,ありがとうございます。
本学の附属小学校・中学校,当時は徳島大学附属でしたが,その卒業生であり,金融庁長官,ゆうちょ銀行初代社長など,数多くの要職を勤めてこられました髙木祥吉様をお迎えし,お話をうかがいたいと思っております。
まずもって,昨年(2018年)11月,瑞宝重光章受章おめでとうございます。
髙木 ありがとうございます。
山下 附属中学校長大泉より,70周年記念誌と,髙木さんが附属中学校時代に書かれた『そだち』の作文,揮毫式の髙木さんのサインなどを預かってきました。
髙木 『そだち』や揮毫式のサイン,懐かしいですね。担任の山西啓二先生,良く覚えています。揮毫式の題字は,河原校長先生です。確か,徳島大学の教授で立派な先生でしたよ。
山下 髙木さんは,中学校3年生の時に生徒会長をされていたのですね。『そだち・36号』に「在校生の諸君へ」という題の後輩に宛てた作文が載っています。
髙木 そんなのあるんですか。ちょっと恥ずかしいですね。あまり書いた記憶はありませんが。
山下 少し披露させていただきます。「ぼくの中学生活は夢と希望に満ちあふれ,楽しいものだった。・・・だが,それは,後になってふり返っているからであって,その当時は,本当に苦しいことの連続であった。テストの前日の苦しかったこと,また,入学式の時の演説で失敗し,大変恥ずかしかったことなど・・・しかし,そのような苦しかったことは,ぼくにとって,とてもプラスになったと思っている。・・・苦しみや悲しみが,自分にだけふりかかってきているように思いがちである。だが,この広い世界には,同じような人がたくさんいるということを忘れないでほしい。」
髙木 りっぱなことを書いていますね。(笑)
- 1964(昭和39)年元旦に行われた揮毫式の雄名録
- 雄名録
- 「そだち」を手に取る髙木氏
附属学校時代の思い出
山下 附属学校時代の思い出は。
髙木 父親が前川町で材木業を営んでいたので,附属小中学校の近くに住んでいました。当時は,助任川沿いに材木業者が立ち並んでおり,馬車で材木を運んでいました。ある時その馬が暴走した怖い記憶もあります。また,中学校の周りは田んぼや畑ばかりでしたね。
小中学校では体育が得意で何でもやりました。特にローラースケートは徳島公園の中にあった
市の体育館にリンクがあり良くやりましたね。
水泳も得意でした。確か小学2年生の時に当時徳島では珍しいプールができ,水泳に夢中になりました。高校では水泳部にスカウトされたほどです。
また,野球も好きでチームを作って市の大会に出ようと友だちと相談したこともありました。
山下 すごいですね。文武両道というか,よく学びよく遊べですね。野球はどこを守っていたのですか。
髙木 確かピッチャーだったかと思います。勉強では,算数・数学が好きで得意でしたね。高校は城南高校に進学したのですが,時間があれば数学の問題を解いていました。
山下 そんなに数学が得意なら数学を活かした 職業は考えられなかったのですか。
髙木 母親の弟に高校の数学の先生がいたので,それも考えましたが,父親に法学部を勧められたこともあって,法学部に進学しました。どのような 分野でも,数学的な思考能力は必要だと思いますね。
山下 附属中学校の『そだち・28号』に髙木さんのお母様が,「入学に際し子供に一番望む事は 克己心と忍耐力でございます。」と書いておられますね。ご両親はどのような方でしたか。
髙木 母親の言葉はあまり覚えていませんが,常々そのようなことは言われていたように記憶しています。
それよりも両親にはマイナス思考がなく,常に褒めてくれましたね。例えば算数で70点取ってきても,普通の親なら,後30点頑張ればとか,できなかったところを指摘することが多いと思いますが,両親はできたところを「こんな難しい問題が解けるなんてすごいね」と褒めてくれました。けっして,マイナスの評価はしませんでしたね。そのため私は難しい問題に自信を持って,楽しみながら取り組むことができました。
山下 それは良い話ですね。人間の成長には, 褒めて認めて,自信を持たせることが重要です。髙木さんのご両親は,親の教育力,親力がおありだったんですね。
どうして附属小中学校を選ばれたのでしょうか。
髙木 今もそうだと思いますが,当時附属小中学校が教育機関として高く評価されていたということではないでしょうか。それと家が附属に近かったこともあったと思います。
山下 附属小中学校で学んでいる後輩にメッセージがありましたら,お話いただけませんでしょうか。
髙木 「夢」を持ってほしいという事ですね。夢があれば夢に向かって努力します。コツコツ努力すれば夢に近づくことができます。
もちろん,夢は夢なので,その実現はそんなに簡単なことではありませんが,夢を持って努力していけば夢が近づいてきます。
ぜひ,後輩の小中学生のみなさんには,大きな「夢」を持って実現できるように努力することの大切さを伝えたいですね。
山下 素晴らしいことですね。
教師及び教師を志す学生に向けて
山下 本学は,将来教員になる学生や現職の教員が大学院で学んでいますので,学生や現職教員にも何かメッセージがあれば,お願いできますでしょうか。
髙木 後輩のみなさんへのメッセージと同じですが,子どもに「夢」と「自信」を持たせられる教育者になって欲しいと思いますね。
そのためには,まず,子どもに夢を持たせるようにしていただきたいと思います。そのうえで,子どもができたことを褒めてあげて,努力の成果を認めてあげる。そして,子どもに自信を持たせる。子どもは努力して1つずつできるようになれば自信がつき,さらに大きな夢に向かって努力することになると思います。
組織の運営でも同じことが言えると思います。組織のメンバーを褒めて自信を持たせて育てなければ組織としての力が発揮できないと思います。そのためには,相当な忍耐力も必要になりますね。
山下 そうですね。今,日本の教育界では,世界の国々と比較して自信のない,自尊感情の低い子どもの教育をどうするかが課題になっています。まず,自信を持たせられる教育者としての姿勢が重要となりますね。
最後に,私からお願いがあります。本日のお話しを,西村副学長と私だけがお聞きしたのではもったいない。是非,徳島に帰省される機会に,時間があれば附属小中学生や保護者の皆さんに,お話をしていただければ幸いです。
髙木 そのような機会があればお話しさせていただきたいと思います。
山下 よろしくお願いいたします。本日は改めましてお礼申し上げるとともに,今後のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
揮毫式(きごうしき) 新年を迎え,心ひきしまる新しい出発にあたって,校長の「新年のことば」の揮毫を囲み,全校生徒と全教職員が1枚の条幅(雄名録)に毛筆で自分の名前を書くという,緊張と厳粛さの中で母校に対する思いを育む附属中学校の伝統の行事です。 |
最終更新日:2019(令和元)年9月10日