2021(令和3)年度遠隔教育プログラム新入生入学セレモニー挨拶

 14名の皆さんが鳴門教育大学大学院遠隔教育プログラムに入学されましたこと、心からお祝い申し上げます。
 大学院の入学式は、4月6日に挙行しました。その折り学長告辞として私は次のようなことを述べました。

 

 新型コロナ禍において、これから学業を進めていく上で何かと支障が出てくるかもしれない。しかし、鳴門教育大学の教職員は一丸となって、皆さんの学びの機会を保証しようと努めるので、安心してもらいたい。
 次に、教師教育のリーダー大学である本学大学院に在籍中に、特に「主体的・対話的で深い学び」と「効果的にICTを活用した学び」を習得し、修了後も学び続ける大人でいてほしい。
 そして、様々な出会い、交流、対話を経験することにより、鳴門教育大学に入学して良かった、と皆さんが思われることを期待している。
 しかし、何より健康に留意し、健康管理の意味でも、そして人間としての器を大きくする意味でも、勉強だけでなく、適度に遊ぶことも大事である、と。

 

 そこで、本日はこの告辞と少し異なることを、話したいと思います。
 この新入生入学セレモニーに引き続き行われる遠隔教育プログラムの修士論文構想発表会、そして年末の修士論文発表会を、ここ数年、何度か聞かせてもらい、そのレベルの高さに感心しています。先行研究をよく調べ、問題、目的、方法、結果、考察というスタイルもしっかりしていますが、特に、現場において、一人一人の院生の皆さんが問題意識を大切にし、それに取り組んでおられる姿勢を高く評価いたします。

 

 しかし、中にはせっかく頑張っているのに、修士論文として残念だと思うことがありました。
 一つは、エピソードについてであり、理論と実践の往還についてです。
 私は実践と理論の往還と思っていますが、それはさておき、ある理論を用い、統計的検討も行い、学会誌に掲載が許可されるのではないかというほどの優秀な論文もあります。しかし、理論や統計を駆使するような論文の中には、得てして本学の教職に関する修士論文(最終成果報告書もおなじことです)として大事なところが抜け落ちているものがあります。
 それは、実際の教育現場において、筆者であり教師である「私」は、どのように感じ考えたのかということであり、同様に、子どもは、同僚は、どのように感じ考えたのかということです。
 つまり、エピソードが抜け落ちているのです。理論や数字だけで、生き生きした実践が見えてこない。たとえれば、骨だけで肉がないのです。演繹的思考が前面に出て、実践における帰納的思考が見えず、その為に理論と実践の往還が見えてこないのです。
 学会誌の論文は枚数制限が厳しいのですが、本学の修士論文には枚数制限がありません。もちろん、枚数が多いのが良いのではなく、読者を念頭に置き、コンパクトにまとめなければなりませんが、是非、大事なエピソードも記述して下さい。
 さらに言えば、あくまで私の個人的な考えですが、教師教育のリーダー大学である本学の修士論文において、演繹的で理論的なオリジナリティがなくとも、帰納的で実践的な考察が優れているならば、そこにオリジナリティを認め、修士論文として高い評価を与えたいと思っています。

 

 もう一つ残念に思うのは、対話や批判的な考えについてです。
 自分の実践や考えを正当化するために理論武装し、広い視野から批判的に考えることが抜け落ちている発表も見受けられます。
 近年、教育界では「主体的・対話的で深い学び」が推奨されていますが、「学び」について私は学生たちに対し、常々次のように語っています。

 

 日本語の「学ぶ」は「まねる」から派生した言葉である。教師の考えをまね、教師から知識を吸収することは大切である。
 しかし、それ以上に、鳴門教育大学では、授業において様々な意見を出し合う「ディスカッション」を基本にしている。さらに、本学で何より大切にしたいのが「ダイアローグ」である。
 対話の精神とは、真理を前にして、互いに対等の立場で無知を自覚し学ぼうということである。そして、対話は、正反合の弁証法的(dialectic)プロセスによって進められる。つまり、テーゼ・意見に対して、アンチテーゼ・反対意見を出し、それらをアウフヘーベン・総合する意見を見出していく論理的過程である。
 要は、勝ち負けを競うのではなく、お互いに平等で協力し合い、さらに高い真理を目指すという気持ちが基本である。そして、恥ずかしいと思わずに意見が言えたり、対決を恐れず違う視点から意見が言えることが重要である。
 まさに、対話は民主主義の根幹である。
 皆さんも、間違いを恐れず、さらに本学の教員にも遠慮することなく、話し合ってほしい、と。

 

 つまり、お互いが相手に対して敬意を払いながら、批判的な考えを出し合い、よりよい解を求めるということです。そして、修士論文を書く際にも、仲間達との対話や教師との対話は、非常に大事です。
 さらに、自分の心の中でもう一人の自分と対話することも、非常に大事です。しかし、自分に対して批判的考えを持つだけではだめです。反省だけにおわり、さらには後悔し過去にとらわれ、自己嫌悪に陥ってしまうことさえあります。「後悔」であり、英語でいうなら‘regret’です。
 そうではなくて、良いところも悪いところも含めて自らの経験を見つめ直し、これからの自分に活かそうと前向きに考えることが、学び続ける教師・大人にとって必要なことです。「省察(せいさつ)、熟考」であり、英語でいうなら‘reflection’です。

 

 以上、修士論文の作成にあったって、一石を投じるようなことになったかもしれませんが、少しでも皆さんの役に立つことを願って、私の式辞といたします。

 

 

2021年(令和3年)5月8日

鳴門教育大学長 山下一夫

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