2021(令和3)年度学位記授与式告辞

「「星の王子さま」の出会いと別れ」

 

 

 学校教育教員養成課程111名の皆さん、卒業、おめでとうございます。
 大学院学校教育研究科・修士課程88名、専門職学位課程110名、大学院全員 198名の皆さん、修了、おめでとうございます。 26名の海外からの留学生の皆さんは、何かと大変だったでしょうが、無事修了されたことに敬意を表したいと思います。
 皆さんを祝福するかのように、講堂の入口横の蜂須賀桜は満開、他の草木もちらほらと芽吹いてくるようになってきました。

 

 さて、この2年間、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)がパンデミック・世界的大流行となり、一昨年、2020年3月の学位記授与式は中止という苦渋の決断をいたしました。昨年は挙行できたものの、学部と大学院を分け、出席者を限定するなど規模を縮小せざるを得ませんでした。そして、今回は昨年と同様、規模を縮小し挙行することにいたしました。
 式だけでなく、授業を始めとして大学生活そのものが大きな影響を受け、何かと不自由を強いられたことでしょう。
 しかし、このような厳しい状況下にあっても、皆さんの中には「大学生活において様々な人との素晴らしい出会いがあり、人生の大きな財産となった。この出会いと経験を大切にし、大学生活に別れを告げ、新しい道を歩み始める」と力強く語ってくれた人もいます。きっと皆さんも同じ思いではないでしょうか。

 

 もちろん、これから進む新しい道は、決して平坦な一本道ではありません。さらに、新型コロナウイルス感染症が象徴するように、日本だけでなく世界中が先行き不透明で予測困難な時代です。その上、世界中のほとんどの国の反対を押し切り、民衆に対して武力行使という暴挙が起こっています。
 世界中で新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方はおよそ600万人にものぼります。また、ウクライナではロシアのプーチン大統領による軍事侵攻によって、日に日に子どもを含め多くの方が亡くなっています。現在も先が見通せない情勢であり、第3次世界大戦が起こるのではないかとまで危惧されています。
 亡くなられた方に哀悼の意を表し、そしてこれらが収束し、世界中に平和な日が来ることを祈念します。

 

 新型コロナウイルス感染症やウクライナ侵攻だけでなく、地球温暖化と自然災害、プラスチックごみ、人口減少、グローバル社会における国家間の競争、各地での武力行使、格差社会、揺れる民主主義と人権、フェイクニュース、敵と味方に分けて相手を攻撃する思考様式、AI(人工知能)の進展による新しい社会の到来など、地球規模で課題や難問が山積みです。
 これらの課題に対し、あらかじめ決まった一つの正解がある訳ではありません。また、知識は大事ですが、知識だけでは解決しません。子どもの心を忘れ、多くの知識と権力を持ち、自らが信じる一つの正義だけを振りかざす人間ほど、恐ろしいものはありません。

 

 課題を解決するために、子どもの心と大人の知恵を大切にし、仲間とともに協力し行動することこそ求められています。
 その為にも、教育現場において様々な新しい学力観や授業観への転換が必要とされています。その中でも、私が特に大切だと考えるのは次の4つです。「主体的・対話的で深い学び」「効果的にICTを活用した学び」「グローバルな思考」、そしてこの3つの根本に心のあり方として「自分自身と他人を尊重する・リスペクトする心根」です。

 

 この「自分自身と他人を尊重する心根」、及び「出会いと別れ」について、私の大好きな、サンテグジュペリの『星の王子さま』をもとにして、考えてみたいと思います。

 

 サンテグジュペリは、1900年に生まれ、第2次世界大戦においてパイロットとしてナチスと戦い、1944年に亡くなりました。亡くなる1年前の1943年に書かれた『星の王子さま』は、今も世界中の多くの人に読まれています。
 王子さまは、自分の小さな星に一本のバラの花を残して旅に出、地球の砂漠にやってきます。
 王子さまは、バラの花の咲きそろっている庭を見つけ、大変寂しい気持ちになります。「ぼくは、この世にたった一つという珍しい花を持っているつもりだった。ところが、実は、あたり前のバラの花を一つ持っているきりだった。・・・ぼくはこれじゃ、立派な王子なんかになれない」と泣きだします。

 

 そこへキツネがあらわれ、いつしか2人は仲良しになりました。そしてキツネに「もう一度、バラの花を見にいってごらんよ。あんたの花が世のなかに一つしかないことがわかるんだから」と言われます。
 そこで、王子さまはバラの花を見に庭にいき、キツネの言う通り、残してきたバラの花が世のなかに一つしかないこと、さらにこのキツネが王子さまにとって、「いまじゃ、もう、ぼくの友だちになってるんだから、この世に一ぴきしかいないキツネなんだよ」ということがわかるのである。

 

 王子さまとキツネとの別れのときがきます。キツネは王子さまに秘密をおくりものにしました。「秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」。つづけてキツネは次のように言います。「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのはね、そのバラの花のために時間を使った(むだにした)からだよ」。「人間っていうものは、この大切なことを忘れているんだよ。だけどあんたはこのことを忘れちゃいけない。めんどうをみた相手にはいつまでも責任があるんだ」。

 

 効率的に仕事や勉強をこなしていくことは大事です。しかし、効率的に時間をつかうのではなく、その人独自に時間をつかうことが、その人の個性ということに関連してくるのではないでしょうか。
 さらに、効率という観点からすれば、時間をむだにしているように思えるかもしれませんが、私達はある人と一緒にいることや一緒にすごすことを大事にしたいものです。かけがえのない関係を築くには、焦らずじっくりと時間をかけなければなりません。

 

 サンテグジュペリは『星の王子さま』の献辞のなかで、<そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)>と書いています。
 皆さんは、子どもだったころ、泥んこになって暗くなるまで遊んだことや、犬がライオンのように見えて怖くて足がすくんだこと、とても大切にしていた人形のこと、そしてとても悲しくなったりうれしくなったりしたことを、思い出せますか。小学校に入学したとき、6年生や先生がそして校庭がとても大きく見えたことを、今でも覚えていますか。いつのまにか、子どもの心や夢をなくしてしまってはいませんか。
 子どもの心とは、子どもっぽくて我がままなこととは違います。子どもの心とは、みずみずしい感受性であるともいえます。子どもっぽい行為とは他人の心にお構いなしなのに対し、子どもの心を尊重した行為とは自分の心と他人の心を感じるということであり、子どもの存在を大切にしようとすることです。
 王子さまが地球に来る前に出会った、命令するのが大好きな王様、つねに他人から感心されたいと思っているうぬぼれ男、金儲けに忙しい実業家、酔っ払い男、彼らは自分が子どもだったことを忘れ、子どもっぽい大人と言えるでしょう。

 

 主人公のパイロットも星の王子さまも、子どもの心を持ち、うわべの目に見えることだけで物事の判断をくだしたり、自分のことだけを考えている大人に対して、辛らつに批判します。しかし、二人とも、親身になって話をする相手がまるきり見つからずに、一人きりで暮らしてきました。

 

 飛行機が故障し、砂漠に不時着し、王子さまと出会い8日目、貯えの水がなくなり、のどが乾いて死にそうな主人公と、王子さまは井戸を探しに行きます。「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだよ…… 」と言う王子さまに、主人公は「そうか、家でも星でも砂漠でも、その美しくなさしめているものは目に見えないんだ」と言うと、「うれしいな、きみが、ぼくのキツネとおんなじことをいうんだから」と王子さまは応えました。
 そして主人公である私は、王子さまが眠りかけたので、両腕でかかえて歩きだします。私の心をゆすぶられていました。まるで、こわれやすい宝を、手に持っているようでした。・・・私はまたこう思いました。この王子さまの寝顔を見ると、私は涙の出るほどうれしいんだが、それも、この王子さまが一輪の花をいつまでも忘れずにいるからなんだ。バラの花の姿が、眠っている間も、ランプの灯のようにこの王子さまの心のなかに光っているからなんだ。こんなことを考えながら歩いていくうちに、私は夜が明ける頃、とうとう井戸を発見しました。

 

 ここで、主人公にとっての王子さまとの関係と、王子さまにとってのバラの花との関係が、重なりあうと考えられます。バラの花といざこざをおこして旅に出た王子さまが、キツネに出会い大きく成長をとげたように、主人公も王子さまと出会い大きく成長をとげます、2人とも、もはや独りぼっちではありません。

 

 次の日の夜、2人の別れです。主人公は機械の故障がなおり、人間の住む所へと帰れるようになります。王子さまも毒ヘビにかまれて地球で死ぬことによって、自分の星に帰ろうとします。
 そして、王子さまと主人公は次のような会話をします。「夜になったら、星をながめておくれよ。ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか、きみに見せるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ。それから、ぼく、きみにおくりものを一つあげる」。王子さまは、笑いました。「ぼっちゃん、ぼっちゃん、私はその笑い声をきくのがすきだ」。「これが、ぼくの、いまいったおくりものさ」。王子さまは、また笑いました。「それに、きみは、いまにかなしくなったら-かなしいことなんか、いつまでもつづきゃしないけどね-ぼくと知りあいになってよかったと思うよ。きみは、どんなときにも、ぼくの友だちなんだから、ぼくといっしょになって笑いたくなるよ」。

 

 さて、人間は、星でもバラでもキツネでも同じことですが、無数に存在します。その中からこの世に一つしかないものとして、かけがえのない関係が結べるとき、その他の無数の人間に対しても、人は開かれた気持ちになれ、世の中が喜ばしいものと感じられるのではないでしょうか。
 大人になるとは、子どもであることを止めることではありません。むしろ信頼しあえる友人や大人との交流を通じて、自分自身のペ-スに従い、子ども心に帰り、無為な状態にとどまったり、様々な遊びをしたり、自分の可能性をためして試行錯誤することによって、生き生きとした好奇心と想像力そして希望をとりもどし、人間関係を体験しなおすのです。それから次に、大人の知恵を主体的に学び、責任を身につけていくようになります。
 現代において「大人」であるとは、確固とした伝統や規範を内在化しているだけでなく、変動する社会や他者に対して開かれた姿勢で、つねに自己省察や自己変革をなしうる人のことでしょう。そのためにも、大人は子どもの心を失くしてはなりません。私たちは、子どもの心と大人の知恵を大切にしたいものです。

 

 さて、皆さんへ二つのことを祈念し、私の話を結びにしたいと思います。
 一つは、新型コロナウイルス感染症がまだまだ猛威をふるう昨今、皆さんがこれからも健康であることを何より祈っています。心身の健康のためにも適度に遊び、リラックスすることも大切です。もう一つは、職業人として、人間として、これからも成長していかれることを期待し願っています。以上で私の告辞といたします。

 

 

2022(令和4)年3月18日

鳴門教育大学長  山下一夫