平成26年度入学式告辞

「他者の理解と言語的コミュニケーション能力」

 

 

 ただいま入学を許可いたしました学校教育学部112名、大学院学校教育研究科・修士課程223名、専門職学位課程38名、合わせて373名の皆さん、改めて本学へのご入学を心からお祝い申し上げますとともに、お慶び申し上げます。

 また、この日まで皆さんを温かく見守り、支えてこられましたご家族、関係各位に心から敬意を表します。

 

 さて、鳴門教育大学は、新構想の大学として、198110月に創設された「教員のための」大学、「社会に開かれた」大学です。20044月からは、国立大学法人鳴門教育大学として装いを新たに出発し、教員養成大学としての使命を着実に果たしてきました。本学の歴史はまだ浅く、人間の発達段階で言えば青年期にあり、私たちは今後成人期に向けてさらなる発展・充実を図っていきたいと思います。

 本学の規模は、学部定員400名、大学院定員600名、合わせて1000名という小規模な大学ですが、教職員はおよそ250名であり、皆さん一人ひとりのニーズに合わせて、きめ細かな教育研究指導が行える態勢を取っています。

 

 20044月の法人化以後、本学は大学憲章を定め、「教育は国の基である」という理念のもとに、教員養成大学として時代の要請に応えるべく、高度な教職の専門性と教育実践力、そして豊かな人間愛と深い教養を備えた高度専門職業人としての教員の養成を最大の目的とし尽力して参りました。また、四国霊場88カ所の一番札所、霊山寺が鳴門にあることにちなんで、本学を「教育の一番札所」と名付け、我が国の学校教育や教員養成において、先導的役割を果たしていくべく日夜努力を重ねているところです。

 

 今年1月の文部科学省の発表によりますと、本学学部学生の教員就職率は、大学院等への進学者や保育士への就職者を除くと91.2%であり、全国の国立教員養成大学・学部の中で、第一位という輝かしいものでした。先に述べましたように本学は、まだ若い大学ですが、教員養成の目的大学として着実に実績を上げ、歴史に名を刻んでいると言えるでしょう。皆さんとともにこれを常態化し、教員の鳴門ブランドを創っていきたいと思います。

 

 本日は、教師にとって特に必要であると私が考える二つの能力についてお話ししたいと思います。一つは「他者を理解する能力」であり、今ひとつは「言語によるコミュニケーション能力」です。つまり、教師には、児童生徒を理解する能力と同時に児童生徒や保護者、そして同僚とのコミュニケーション能力が必須です。

 

 さて、私たちは、自然現象を理解する方法として、自然科学的な認識方法を用います。この方法は、主観や私的感情を全く排除して、純粋に客観的文脈で記述される因果的説明の世界を構成します。一方、人間の精神世界を理解しようとするとき主観を排除して客観的文脈のみで理解することは不可能です。

 通常、私たちは、他者の言動を理解しようとするとき、他者の体験の中へ身を移し入れて追体験することによって了解(感情移入的了解)しているわけですが、他者の理解をする上で最も重要なことは、「傾聴すること」です。傾聴が出発点です。耳を傾けて、人の話を聴くことができる能力は、他者を理解する上で基本的なことだと思います。従って、教師が児童生徒の話を傾聴するという作業は、教師にとって核心的な仕事です。児童生徒のよい聞き役になれるということが、児童生徒の理解に繋がります。

 

 それでは、よい聞き役とはどういうものでしょうか。少し端折りますが、よい聞き役の要諦は相手の話に口を挟まず、ひたすらチューニング(波長合わせ)して、聴くということです。

 この態度を、心理療法家のカール・ロジャーズ(19021987)は、「無条件の肯定的配慮」と名付けました。相手の話を聞いていると往々にして、途中で口を挟みたくなるものですが、これは禁忌です。口を挟まず、「受け身性」を保つということが肝要です。20分間相手の話を傾聴できるようになれば、上々です。教師は、教科の指導技術や話術の訓練は受けても、傾聴する訓練は受けていないことが多いのではないでしょうか。これからの教師には、「積極性」と同時に「受け身性」も合わせ持つことが要請されると思います。学校現場において、児童生徒のよき理解者となり、保護者や同僚との深い人間関係を築くためには、まず傾聴することから始めるとよいでしょう。かくして、よい聞き役は、よき理解者となります。

 

 今ひとつ、教師にとって必須であると考えるのは、「言語によるコミュニケーション能力」です。教師という職業は、どちらかというと話を聴くよりも話すことが多い職業であると考えられます。こちらは言語を使って自分の考えを話す力、発信する力と言ってよいでしょう。

 

 ところで、皆さんは空を飛ぶ夢を見たことがありますか。

「空を飛ぶ夢は、子どもが言葉を獲得し、世界を自由に渉猟できると感じた喜びを象徴している。」という精神分析学の解釈があります。証明は出来ませんが、私には腑に落ちるものがあります。

 また、これと類似のことを作家の埴谷雄高も「言語は世界を旅する乗り物である」と比喩的に述べていた記憶があります。

 言語学者のノーム・チョムスキー,A.(1928)は、もっと明快に次のように述べています。「人間がコトバを獲得するのは、人間としての共通の認知能力に基づくもので、各国や民族で話す言語が異なっているように見えるが、それは表面上のことにすぎない。コトバが作られる構造は、人間が持ち合わせている認知能力のひとつだから、どの民族もコトバを持ち、話すことができる。」

つまり、人間には生まれながらにして、文法が組み込まれており、コトバと出会うことによって言語機能の装置が活性化するということではないでしょうか。

 いずれにしても、この世界における言語の優位性を開陳しているものだと思います。

 

 さて、学校教育の中心的テーマは、言語を学習・修得させ、言語によって森羅万象を理解させ、人格形成を醸成し、様々な領域において子どもの創造性を伸ばし、自己実現を図っていくことができるように支援していくことではないかと考えます。

 学校教育の体系は、言語の網の目を通過させることに似ています。つまり、人間は、あらかじめ言語によって絡め取られた存在として誕生し、言語という象徴体系の中で自己実現を図っていく存在です。言語に縛られた存在ですが、同時に又、「言葉の乗り物」によって世界を旅することが出来る存在でもあるのです。そういう意味では、私たちは誕生して、すでにグローバル化への準備はできているのです。

 

 さて、話をもとに戻しますが、子ども時代に空を飛ぶ夢をよく見るのは、あらかじめ布置されている言語機能が、子どもと教師の間においてより一層活性化したことの無意識的な表れではないかと推測する次第です。つまり「言語による自由の獲得の喜び」、「言語機能による豊かなコミュニケーションの喜び」を象徴しているのではないでしょうか。教師にとって「言語的コミュニケーションの能力」が重要であると考える所以です。

 

  以上、私が教師にとって重要であると考える二つの能力についてお話ししましたが、これから始まる大学生活の中で熟考してみて下さい。

  

 皆さんが、大学という組織文化の中で、多くの新しい出会いをつくり、「他者の理解」と「言語的コミュニケーション」によって、大いなる人間的成長と学問的発展を遂げられることを心から願っています。

 

平成26年4月8日

鳴門教育大学長  田中 雄三

 

(文献)長尾圭造:子どもの薬物療法を支える精神療法-チョムスキーとロストロポーヴィッチから学ぶ-.日本病跡学雑誌,86,4-12,2013.

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