平成25年度学位記授与式告辞

-教師と言葉の重力-

 

 平成25年度の学位記授与式にあたり、卒業生、修了生の皆さんに一言お祝い申し上げます。

 本日、学校教育教員養成課程110名、大学院学校教育研究科・修士課程214名、専門職学位課程39名の皆さんがめでたく学位を取得され、新しい出発の時を迎えられましたことを心から祝福いたします。大学院修了生の中には、海外からの留学生17名の方々もおられます。

 この日まで皆さんを温かく見守り、支えてこられましたご家族をはじめ、関係の方々に心から敬意を表しますとともに、お慶び申し上げます。

 

 さて、皆さんの多くは教職に就かれます。教職という仕事は「対人関係の学問」といっていいほど多くの人たち、とりわけ多くの子どもたちに出会い、言語によって人間関係を結ぶ職業です。換言すれば、学校教育の本質は、言語によって森羅万象を理解させ、人格形成を醸成し、様々な領域において子どもの創造性を伸ばし、自己実現を図っていくことができるように支援していくことではないかと思います。

 子どもは、教師の言葉を意外によく覚えているものです。それは長い時間をかけて子どもを呪縛します。げに、教師という職業は恐るべしです。どのような教師に出会うかは運命です。子どもは教師を選べません。

 このようなことを念頭に置いて、本日は私の小学校時代の教育体験をお話し、教師の言葉の持つ重力について考えてみたいと思います。私の言葉が、新しい出発を前にした皆さんを幾分なりとも、エンカレッジすることができれば幸いです。

 

 私は、5人兄弟の4番目として、山間の戸数60軒あまりの農村で生まれました。父親は小学校教員、母親は農業をしていました。

 私は、典型的なお祖母さん子であり、祖母の行くところ行くところについてまわり、祖母の姿が見えないとすぐに泣くような子どもでした。田舎ゆえ、保育園とか幼稚園には行っていません。但し、小学校に入学する1ヶ月前に校長先生が私たちを学校に呼んで話をされました。おとぎ話です。入学すれば毎日こんな面白い話が聴けるのかと思うと、私の心は弾みました。学校は楽しい所なのだと入学を心待ちにしていました。

 

 小学校1年は、1学年1学級27人の児童数でした。まさに少人数学級です。全校児童数も180人に満たなかったと思います。

 学級担任は、40歳代の女性教師、ヴェテランです。

 私は、クラスの中で一番背が高かったので、後ろの席に座らされました。以後、私は義務教育期間を通して、最後部席が指定席となりました。私は、後ろの席で同じ村から通っているヨウイチ君とよくしゃべり、席を立って動き回っていました。ほどなく、担任の教師から「とんでもない子どもが入学してきた。授業にならない。落ち着きがなく隣の子どもと話ばかりしている。こんな子どもは初めてだ」という情報が、同じ小学校の教師をしている父の耳に入りました。父は家に帰ると「新入生の中にバタバタ落ち着きがなく、おしゃべりばかりしている子どもがいるらしい。担任の先生が困っているようだ。」と家族の前で話しました。私のことが、学校で大きな問題になっていることが何となく分かりましたが、父はそれ以上詳しく話すことはなく、私も尋ねませんでした。以後、私は少しずつおとなしい子どもになっていったように思います。

 3学期の学芸会では、演目は忘れましたが、劇を演じることになりました。担任教師が役割を決め、役柄に応じて台詞を渡されました。私の役には40個以上もの台詞があり、とうてい私の記憶力では無理だと即断しました。セリフの少ない役にして下さいと頼みましたが、先生は頑として受け付けません。「今日から一生懸命覚えて下さい。学芸会はまだ一か月も先のことです。今日から二つずつ覚えていけば、大丈夫です。」「出来ます。」と断言されました。その日は、絶望で胸を塞がれながら帰途につきました。家が近づくにつれて、突然襲われた身の不運に悲しさがこみ上げて泣きました。玄関が近づくにつれ泣き声が大きくなりました。母に泣いている理由を問われて、ポツリポツリと学校での様子を話すと「そんなことは心配せんでもよい」とキッパリ言い、そして「やってみないと分からない、はじめる前からビービー泣いてどうするのか」と励ましてくれました。私の絶望に光が差した瞬間です。いつの間にか涙が止まっていました。

 夕食時に、この話が家族全員の前で披露され、黙って聞いていた父が最後に「これからはユーゾーではなく、ナクゾーという名前にするか」と言って笑いました。

 

 小学校2年の担任は30代後半の男性教師。

 皆が1年生分成長したということと担任が厳しい指導をする男性教師ということもあって、授業中のクラスは、私語もなく緊張感を持って運営されていました。時々、担任は授業の合間に「ほら吹き男爵」の物語を入れて私たちを引きつけました。奇想天外な話は子どもの想像力を遙かに超えていたので、皆拍手して喜びました。私は、世の中にはこんな面白い話があるのかと驚嘆し、担任の「ほら吹き男爵」がいつ飛び出すか心待ちするようになりました。

 

 小学校3年の担任は30代の女性教師。

 おとなしく優しい教師だったと思います。声を荒げて子どもを叱っている記憶がありません。2年の時の厳しい指導の効果があったせいか、3年は波風の立たない学年となりそうでした。しかし、そうはいきませんでした。

 2学期の秋の大運動会で、全校生徒が「豊年踊り」を踊ることになりました。メインイベントです。各学年とも、体育の時間や放課後、「豊年踊り」の練習に余念がありませんでした。当時の私は、踊りは女子のすることだと思っていたので、練習に参加しませんでした。音楽に合わせて踊ることは、私にとっては顔から火の出るほど恥ずかしいことでした。悪友のヨウイチ君と二人で、踊りの練習に参加せず逃げ回っていました。担任は、クラスの踊りの進行具合を私たちに話し、「あまり遅れると皆についていけなくなる、取り返しがつかなくなります。」と私たちを説得しました。ついに、ヨウイチ君は先生の説得に陥落しました。私は、踊りの練習時間になると校内の物置などに隠れ、一人で逃げ回っていました。しかし、いつまでもこのようなことが続くわけはありません。根気よく私を捜していた担任に隠れ場所を見つけられた時、何故かほっとして練習に加わることになりました。大運動会2週間前でした。特訓の成果は現れず、当日本番の「豊年踊り」は間違えてばかりで大恥をかくことになりました。クラス担任の恥でもあったはずですが、私は特別に叱責されることもなく、「皆と踊れてよかったね」と言われただけでした。

 

 小学校4年の担任は、40歳代の男性教師。

 生徒指導に生き甲斐を感じるタイプです。学校のルールを徹底的にたたき込まれました。<廊下は走るな、右側通行せよ、背筋を伸ばせ、礼は45度にて2秒、気をつけの時臀部の筋肉を引き締めよ>など、時には自ら範を示して私たちに教えました。もちろん、いじめやからかいも許しません。クラスの運営を規律あるものにしました。ルール違反者には、愛の鞭が加えられました。私も例外ではありません。

 同じ学校に勤務する父親は、学校での私の態度について特に注意することはありませんでした。かえって、私の方が「よい子であらねばならない」、「父にとって自分の存在が迷惑になってはならない。」と思うようになり、学校生活が少しづつ窮屈なものに感じ始められました。

 

 小学校5年から6年の担任は20歳代後半の若手男性教員。

 初めて若い先生に担任になってもらい、私たちは何故か浮き浮きしました。教師という存在が、初めて身近で親しいものに感じられました。兄貴的存在です。体操が得意で、体育の時間には倒立や前転、バク転を披露し、私たちの尊敬を一挙に勝ち得えました。「皆と仲よく」がモットーで、クラスは穏やかな雰囲気に包まれました。2年間誰も罰を加えられたことはなく、全ての子どもを公平、平等に扱おうとしていることが子ども心にも分かりました。

 6年生の終わり近く、クラーク博士の「Boys, be ambitious」という言葉を教えてもらいました。初めて接する英語でした。未知への扉が開かれた瞬間です。児童から生徒への出立でもありました。そして、「努力する限り、君たちは誰にも負けない」と言われました。

 

 このように自分自身の小学校時代の教育体験を思い出しながら、私は「教師にとって大切なこととは何なのだろうか。」と考えました。そう考えた時、自由連想的に三つのことが頭に浮かびました。

 一つは、人間が好きであること。二つは、象徴体系としての言語によるコミュニケーション能力に秀でていること。三つは、授業実践力を有していることです。ここに登場する教師は、私が言うのもおこがましいのですが、これら三つの事柄を備えておられたと思います。児童の個別の理解をもとに教育指導がなされていたと思います。私の人格形成期において、このような教師に出会い、教えを受けたことはラッキーという他はありません。

 

  今、私の手元には小学校時代の通知表が残っています。通知表の「行動の記録」の欄を見ると、私の行動が色あせることなく見事に教師の言葉によって定着されています。慧眼というほかありません。

 子どもに自信を持たせることの重要性を認識し、そのように言葉の機能を使っている教師、子どものファンタジーを満たす話し上手な教師、少々はみ出しても穏やかに包み込む教師、規律の重要性を徹底して教える教師、兄貴的心理的距離の中で未だ見ぬ遠くの競争相手を意識させ自信と自尊心と野心を育てようとする教師。

 

 私という人間は、教育という仕掛けの中で言語を媒介にして、彼らの言語で構成されています。言語機能によるコミュニケーションこそが、学校教育において、本質的な働きを持っているのではないかと思います。それ故、私は、教師の発する言葉の重力について、一度は言説として強調したかったのです。

 

 最後になりましたが、皆さんが、本学を卒業・修了した後も「学び続ける教員、学び続ける成人」として社会の中で活躍されることを心から願っています。

 

 

平成26年3月18日
鳴門教育大学長 田中 雄三

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