平成24年度学位記授与式告示

- 社会に貢献する自我を目指そう -

 

 

 

 平成24年度の学位記授与式にあたり、卒業生、修了生の皆さんに一言お祝い申し上げます。
 本日、学校教育教員養成課程110名、大学院学校教育研究科修士課程215名、専門職学位課程39名の皆さんがめでたく学位を取得され、新しい出発の時を迎えられましたことを心から祝福いたします。大学院修了生の中には、中国、インドネシア、サモア、フィジー、ルワンダからの留学生、合計14名の方々もおられます。
 この日まで皆さんを温かく見守り、支えてこられましたご家族をはじめ、関係の方々に心から敬意を表しますとともに、お慶び申し上げます。

 

 皆さんはこれから大学というある種社会から守られた時空を飛び立って、世の中に出て行かれます。社会という時空を生きていく上では、時には大学で学び得なかった知恵が必要となったり、さまざまなストレスに晒されたりすることもあるでしょう。そのような時、本学で築いた多様な「人間力」が大きな力になると思います。

 

 最初に、私たちにとって大変嬉しい、身近で現実的なお話をしたいと思います。今年1月9日の文部科学省の発表によりますと、本学は前年度、前々年度に引き続き、3年連続学部学生の教員就職率が全国第1位という快挙を達成いたしました。このような素晴らしい成果は、いつに皆さんの教師になりたいという熱意と努力の賜であり、敬意を表します。この成果を私たちは、大いに喜び、誇りに思うとともに、今後これを常態化していきたいと思います。鳴門教育大学は、一昨年10月に創立30周年を迎えたまだ若い大学ですが、教員養成の目的大学として着実に歴史を刻んでいる証左と言えましょう。

 

 さて、一昨年(2011年)11月、世界の人口は、70億人を超えました。現在も増加の一途をたどっています。この21世紀、社会は一層グローバル化が進み、人口、環境、資源、エネルギーなどの問題が、地球上の大きな課題として、私たちの前に立ち塞がっています。
 一方では、我が国は少子高齢化の波に洗われ、社会福祉、経済再生、行財政改革、エネルギー問題など一体的かつ合理性のある枠組みのもとに取り組まなければならない政治的な課題が山積しています。
 とりわけ、2011年3月11日の東日本大震災からの復旧・復興は喫緊の課題ですが、そのスピードは遅々として進まず、被災された方々は今なお困窮の中にあります。広島、長崎、福島と大量の放射線被曝を3度にわたって経験した私たち日本人は、今後とも東日本大震災を忘れることなく、被災された方々を支援していかねばなりません。
 そして、今を生きる日本人の本質的なモラルとは一体何なのか、もう一度問い直してみる必要があります。社会がグローバル化する時代にあって、私たちは、これから何を精神の核とし、何を拠り所にして行動すべきでしょうか。

 

 さて、精神医学や心理学では、人間の行動は個体と環境の関数で表されます<行動=f(個体、環境)>。つまり、人間は何らかの動因によって行動を起こすとき、環境に働きかけ、環境はまた人間の行動をコントロールしたり、賦活したりすると言うことです。人間の行動の動因は神経生理学的基礎の上に、生理的及び社会的欲求から生じ、行動は欲求の充足へと向かいます。この場合、欲求は単一の欲求ではなく、多数の欲求の複合から成るのが通常です。欲求の充足が困難(いわゆるフラストレーション)になると、人間の行動には目標や様式に変化が起こります。変化の起こりやすさや程度は個人のパーソナリティによるところが大です。そして、欲求が方法を変えてもなかなか満たされない場合には、人の心の中に劣等感や抑鬱感、攻撃性が生まれます。

 

 人間は誕生したときは、生理的欲求の塊であるといってよいでしょう。2歳くらいまでは、生理的欲求を満たすことが行動原理であり、生きる意味であり、存在理由です。つまり、赤ん坊は、「快感原則」(フロイト,S.)に則って生きています。そして、原則的には赤ん坊の生理的欲求は満たされ、世界を満ち足りたもの、満足すべきものと感得し、世界に対する「基本的信頼の感覚」(エリクソン,E.H.)が生まれます。しかし、いつまでもこの快感原則の中では生きられません。2歳を過ぎる頃からトイレットトレーニングという「現実原則」(フロイト,S.)の関所が待ち受けているのです。これ以後、子どもは社会の掟、つまり「世の中にはしてはいけないことがある、タブーがある」ことを少しずつ学び、社会化されていきます。しかし、同時に又生理的欲求とは異なった多くの社会的欲求を身につけることになります。こうして人間はさまざまな欲求の束を抱え、それを満たすことを行動原理としますが、社会の掟に触れないように現実原則に照合し、欲求をコントロールしながら、行動することが求められます。

 

 さて、動物としての人間の成長とは、端的に言えば諸々の欲求のセルフ・コントロールができるということです。生理的欲求の中枢は大脳の視床下部という所にありますが、それをコントロールするのは大脳皮質の前頭葉です。成長するに従って、前頭葉も発達し、社会の掟と折り合いをつけながら自己の欲求を満たす術を獲得していきます。前頭葉は抑制系の神経の集まりなのです。人間が他の哺乳類と異なる点は、前頭葉が最もよく発達し、自分の欲求をコントロールし、行動を律することができるということです。

 

 ところで皆さん、かつて20世紀の時代、日本人は「勤勉」に努力し、現実原則の中で個々の欲求を満たし、身を立て名を上げることを社会的成功者の一つのモデルとしました。20世紀の時代には、「故郷に錦を飾る」とか「末は博士か大臣か」という言葉が人口に膾炙していました。そして、卒業式に必ず歌われた「仰げば尊し」の中にも、二番目の歌詞に「身を立て名を上げ、やよ励めよ」という一節があります。立身出世を人生の目標に掲げ、勉学に励むというスタイルは、子どもの成長の一つのモデルであり、理想型としての役割を果たしていました。
 そして、「勤勉さ」のモデルは、社会的モラルの基礎をなしていました(全国の小学校に設置されていた二宮尊徳の像がこのことを象徴的に表しています)。日本人のモラルの基礎をなす「勤勉さ」という特質を、私たち日本人は個々人の欲求充足へのベクトルに比重をかけ、その方向に邁進し、欲求を満たしてきたように思います。これも一局ですが、しかし、21世紀の行動原理としてはどうでしょうか。東日本大震災を経験した私たち日本人は、その本質的なモラルと行動のベクトルを改めて問われているように思います。

 

 今世紀、私たちは欲望のベクトルを変えねばなりません。個々人の欲望の追求や充足を乗り越えて、各自が様々な形で社会に貢献する時代ではないでしょうか。はたして、私たちは進化生物学者リチャード・ドーキンス(1941~)の言うように、「利己的遺伝子」の乗り物に過ぎないのでしょうか。私たちは、自己の遺伝子の保存と増殖のみを目的とする「利己的遺伝子」の入れ物であり、その支配から逃れられないのでしょうか。否です。ここに教育の出番があります。教育こそが人間を根底から支えるシステムであり、人間を持続可能なスピーシーズ(種)として存在させ得る装置なのです。

 私は、21世紀は社会に貢献する時代、個々人の欲望の追求や充足を乗り越えて、各自が多様な形で社会に貢献する時代であると思います。そのために、「教育の力」が必要です。「持続発展教育ESD」、つまり持続可能な社会を構築する担い手を育む教育によって、「利己的遺伝子」を修正し、上書き保存することが、今世紀の「日本人の本質的なモラル」を確立し、持続可能なスピーシーズとして生き延びることに繋がるのではないでしょうか。
 いよいよ皆さんの出番です。今、「教育の力」が必要とされています。教育こそが、日本人の新しいモラルを作ることができるのです。
 私たちは、教育の領域で、他の領域と連携を深めながら、多くのシナプスを作り、グローバルで多様な世界と連結していきたいと思います。そのことが、今世紀人類が抱える数々の難問に対して、導きの糸になると思います。皆さんとともに、新しいミッションに向かって、進んでいきたいと思います。

 

 皆さんが、21世紀を見通す賢者となって、社会に貢献する自我を目指し、哲学する心を持って人生を切り開いていかれることを切に望んでいます。そしてまた、大学という組織文化の中で作り上げた多くのシナプスによって、豊かな人生を送られることを願っています。


                                                    2013年3月18日

                                          鳴門教育大学長 田中雄三

  

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