平成24年度入学式告辞

「傾聴し、内省する教育実践者を目指して」

 

 

 

 ただいま入学を許可いたしました学校教育学部115名、大学院学校教育研究科・修士課程231名、専門職学位課程38名、合わせて269名の皆さん、改めて本学へのご入学を心からお祝い申し上げますとともに、お慶び申し上げます。
また、この日まで皆さんを温かく見守り、支えてこられましたご家族、関係各位に心から敬意を表しますとともに、お慶び申し上げます。

 

 さて、鳴門教育大学は、新構想の大学として、1981年10月に創設された「教員のための」大学、「社会に開かれた」大学です。2004年4月からは、国立大学法人鳴門教育大学として装いを新たにし、昨年10月1日、創立30周年を迎えました。人間の発達段階で言えば成人期にあたり、働き盛りと言えます。
 本学の規模は、学部定員400名、大学院定員600名、合わせて1000名という小規模な大学ですが、教職員は250名であり、有能な人材を多数擁しており、皆さん一人ひとりのニーズに合わせて、きめ細かな教育研究指導が行える態勢を取っています。
 2004年4月の法人化以後、本学は大学憲章を定め、「教育は国の基いである」という理念のもとに、教員養成大学として時代の要請に応えるべく、高度な教職の専門性と教育実践力、そして豊かな人間愛を備えた高度専門職業人としての教員の養成を最大の目的とし尽力して参りました。また、四国霊場88カ所の一番札所、霊山寺が鳴門にあることにちなんで、本学を「教育の一番札所」と名付けており、我が国の学校教育において先導的役割を果たしていくべく日夜努力を重ねているところです。

 

 昨年12月の文部科学省の発表によりますと、本学学部の教員就職率は、2年連続全国第一位という輝かしいものでした。先に述べましたように本学は、昨年10月に創立30周年を迎えましたが、教員養成の目的大学として着実に実績を上げ、歴史に名を刻んでいると言えるでしょう。皆さんとともにこれを常態化していきたいと思います。

 

 さて、皆さんは何故教師になろうと思われたのでしょうか。そして、皆さんはどのような教師を目指しておられるのでしょうか。現在、教員養成の「高度化・実質化」ということが言われています。高度専門職業人としての教師アイデンティティをどう築いていけばよいのか、本学のアドミッション・ポリシーに則して熟考してみて下さい。これから始まる大学生活においては、教師としての基礎・基盤を学ぶだけではなく、教師アイデンティティについて、ラディカルに深い葛藤と苦悩を友として熟考して下さい。

 

 ところで、学校現場では今何が起こっているでしょうか。小学校では、昨年度から改訂学習指導要領が完全実施され、それに伴い「小学校外国語活動」が、中学校では本年度から「武道」「ダンス」が必修化され、注目されています。
 一方、いじめ、不登校、引きこもり、学力低下、保護者への対応など、従来からの教育課題も山積しており、心労の故か、心身の不調等を訴え休職を余儀なくされている教員が全国で5000人を超えると言われています。学校現場の先生方は、学校の授業や生徒指導のみならず、家庭訪問や保護者との面談など多忙を極めておられるのではないでしょうか。
 私もかつて、本学に勤務の傍らスクールカウンセラーとして7年間学校現場に出向いた経験がありますので、現場の先生方のご苦労の一端は、よく理解しているつもりです。

 

 現職派遣の先生方の中には、日常業務の多忙さや人間関係の葛藤の中で、ともすれば初心がくじけそうになり、教師としてのアイデンティティが揺らいでいる人がおられるかも知れません。大学院の教育研究の中で、もう一度、自らのアイデンティティを問い直し、それを再構築し、不動のものとしてください。大学生活は、これまで積み重ねてきた自らの教職キャリアについて省察するよい機会となるでしょう。教師とは一体何者なのか、学び続ける教師として、この奥深い問題を改めて問い直してみてください。

 

 さて、もう40年以上昔の話になりますが、私の学生時代に数学の教授でKという先生がおられました。K教授の口癖は「諸君、Denkenしたまえ」というものでした(デンケンは、ドイツ語で「考える」という意味です)。「Denken すること、そしてまたDenkenすること、それは数学の問題についてではない。諸君の人生についてだ。Denkenしたまえ。」という風でした。私は、その後の人生において、今は亡きK教授の口癖だったこの言葉を、数学の問題とは関係なく、時おり思い出します。「Denkenしなければならない」と。
 何事においても、深くDenkenし、内省する能力は、教員の資質・能力としても当然重要です。必須と言ってもよいでしょう。しかし、今ひとつ教師に必須な能力は、日頃私が考えていることですが、「傾聴する能力」ではないでしょうか。耳を傾けて、人の話を聴くことができる能力は、教員の資質・能力として不可欠であり、コミュニケーション能力の基本だと思います。

 

 人は誰でも、分かってもらいたい、理解してもらいたいと思っている物語の一つ、二つは、心の中に持っているものです。問題は、その物語を語るべき相手がいるかどうかということです。語りたい(理解されたい)物語を傾聴してくれる相手に恵まれていると、語られた物語は外在化されます。つまり、物語りすることの中に、精神内界を対象化するという作業があり、そのことを通して自我は成長し、自己実現がなされていくのだと思います。従って、教師が児童生徒の話を傾聴するという作業は、教師にとって核心的な仕事であると思います。児童生徒のよい聞き役になれるということが、教師にとって必須の能力になると考える所以です。

 

 それでは、よい聞き役とはどういうものでしょうか。ここからは、臨床心理学や精神医学の領域に入りますので、話を端折りますが、要諦は相手の話に口を挟まず、ひたすらチューニング(波長合わせ)して、聴くということです。
 この態度を、来談者中心療法を創始した心理療法家のカール・ロジャーズ(1902~1987)は、「無条件の肯定的配慮」と呼びました。相手の話を聞いていると往々にして、途中で口を挟みたくなるものですが、これは禁忌です。口を挟まず、「受け身性」を保つということが肝要です。20分間相手の話を傾聴できるようになれば、上々です。
 かくして、よい聞き役は、よき理解者となるでしょう。

 

 

 教師という職業は、どちらかというと話を聴くよりも話すことが多い職業であると考えられます。教育の指導技術や話術の訓練は受けても、傾聴する訓練は受けていないことが多いのではないでしょうか。これからの教師には、「積極性」と同時に「受け身性」も合わせ持つことが要請されると思います。学校現場において、児童生徒のよき理解者となり、保護者や同僚との深い人間関係を築くためには、まず傾聴することから始めるとよいでしょう。
 傾聴して外からの声を聴き、内省して内からの声を聴く、そういう教育実践者が一つの普遍的な教師像として浮かんでくるのではないでしょうか。K教授の顰みに倣って言えば、「諸君、傾聴し、内省し、実践したまえ」ということになります。
 今、私たちに必要とされているのは、一人の英雄的なリーダーではなく、一人一人が相手の話を傾聴し、内省し、実践する自我を持たねばならない時代を生きているという共通の認識ではないかと思います。

 

 ところで、昨年11月、世界の人口は70億人を超えました。現在も増加の一途をたどっています。21世紀に入り、最初の干支が一巡りした今、社会は一層グローバル化が進み、環境、資源、人口、紛争、災害、貧困、経済など地球上の大きな課題が、私たちの前に立ち塞がっています。これらの難問に対して、教育こそが、私たちの持ちうる最大の武器であると思います。
 今世紀、人類が抱える数々の困難な問題に対して、「教育の力」が、解決への導きの糸となり、次の世代を生き延びさせることに繋がるのではないでしょうか。
 混迷する日本、混迷する世界にあって、私たちは、高い志と揺るぎない教育観に立って、次世代を担う子どもたちに「何を」、「どのように教えたらよいのか」、皆さんとともに熟考し、「社会に開かれた大学」として、その使命を果たしていきたいと思います。

 

 皆さんが、大学という組織文化の中で、多くの新しい出会いをつくり、大いなる人間的成長と学問的発展を遂げられることを心から願っています。

 

                          2012年4月5日
      鳴門教育大学長  田中雄三

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