平成20年度学位記授与式告辞

  暖かい陽気に誘われるように、春が日一日と足早に訪れてまいりました。 弥生3月は旅立ちの季節、やがて訪れてくる春へのうずくような憧れと、それでいて未来に対するそこはかとない不安感に心揺れる季節でもあります。
  そして、爛漫の春を間近にひかえた今日、鳴門教育大学では、113名の学校教育学部卒業生の皆さん、ならびに243名の大学院学校教育研究科修士課程修了の皆さんが学窓から巣立っていくことになりました。 大学院修了生の中には、遠く中国、韓国、ホンジュラス、ジャマイカ、ケニアからの8名の外国人留学生の皆さんも含まれています。 本日、ご臨席を賜った来賓の皆さまをはじめ、ご列席のご家族、友人の皆様、ならびに本学教職員一同、皆さんの新たなる旅立ちを心から祝福いたします。
  皆さんの学生生活における努力の結晶は、卒業論文や卒業制作、そして修士論文として永く大学に保存し、活用されますが、論文を書き上げるということは、それは決して最終のゴールではなく、むしろ新たなる課題を求めての出発を意味すると思います。 先日、大学主催の大学院研究発表会が開催され、留学生を含む8名の院生の皆さんから修士論文の成果についての発表がありました。 いずれの発表も、はっきりとした問題意識のもとで、実証的な手法を駆使した優れた、発展的な内容のものであり、あらためて、そうした成果を導き出した院生諸君の真摯な研究姿勢に拍手を送った次第であります。 卒業生・修了生の皆さんには、卒業論文・修士論文で取り組んだ課題意識を今後とも大切に暖めて、大きく育てていく努力を続けてほしいと思います。
  皆さんの中には、この4月から教師として念願の教壇に立つ人をはじめ、公務員や会社員として社会に第一歩を踏みだそうとする人、さらに大学院へ進学して学業を継続させる人、そして夏の教員採用試験に再挑戦する人など、その進路はさまざまです。大学院修了生の中には、教壇現場に復帰される現職教員の方々や帰国後、母国で活動される留学生の皆さんも少なくありません。鳴門教育大学で共に学びあった人たちがそれぞれの進路に従って、各地に旅立っていくわけですが、いつになっても鳴門教育大学が皆さんの母校であり、帰るべき「学びの古里」であり、かつ「心の古里」でもあることを忘れないでほしいと思います。月並みな言葉ではありますが、卒業生・修了生の皆さんの前途に幸多かれと願わずにはいられません。

  いま、わが国では、急激な社会変動の中で、教育をめぐってもさまざまな問題や課題が次々に起こっています。 そうした中で、あらためて学校教育の在り方やそこでの教師の資質・能力、教師の果たすべき役割、「教師力」といったものが問われているのではないかと思います。
  鳴門教育大学は、教育に関する総合大学であり、そこで鍛えられた皆さんには、日本のこれからの教育を先導していく社会的な使命と、そのために必要な資質、能力が十分に備えられていると確信しています。 社会が教師に求める条件には多様なものがあるかと思いますが、私は教師に求められる資質は基本的には二つあるのではないかと思っています。 一つは、教室で授業をとおして教師が子どもたちといかに向き合うことが出来るか、その授業実践力にあるのではないかと考えています。 教室で勝負することができるということは、まず第一に教科内容を教師自身が自分のものにしているということ、自分の言葉で授業ができるということだろうと思います。   そのためには、教師は自らの教育実践を鍛えていくためにも、他から強制されない自らが探求するべき自分自身の課題を持ち、生涯かけてそれと向き合い、勉強することが求められる仕事ではないかと思います。
 哲学者であり、また自らも優れた教壇実践を行った林竹二は、その著『学ぶということ』(国土社)の中で、次のように述べています。少し長いのですが、引用してみます。

  教師の仕事は、子どもの可能性を引き出すことだと言われているが、それは具体的には、教師が一つの教材をどれだけ深く捉えているかという問題になってくると思います。 教師には、教材を深く捉える力をどうしたら養えるかということに対する不断の模索なり、努力なりが求められています。
  このように考えますと、教員養成というものは、学問とか芸術を根底としなければ到底成立しない仕事であり、しかも限られた大学の教育課程のなかで、そのような仕事に対してなしうる範囲は、まことに僅少であると考えなければならないでしょう。ですから、教師が、その引き受けている仕事に耐えうる力量、能力を身につけうるか否かは、大学を卒業してからの努力にすべてがかかっているような気がします。
  授業という営みは、そのきびしい労苦が、深くたしかに報われるという本質をもっております。教育の現場が抱えている問題には、制度の改善によっては、どう解決しようもないものが多々あります。
  けれども、日本全国の各地に、授業を自己の生命と信じてその質を高めるために、地味な努力を傾けている教師は少なくないのです。私は、ここに日本の教育の希望があると感じています。

  今から半世紀以上も前の文章ですが、林竹二の実践に裏打ちされた言葉は、現在においてもなお、生命力を失ってはいないと思います。
教職の道に志す皆さんには、林竹二が指摘するように、自分自身が探求するべき課題を暖め続け、生涯かけてそれと向かい合い、自らを鍛えていくという誠実な姿勢がこれからは、特に要求されるのではないかと思います。
  教師に求められる二つ目の条件は、私は人間的な魅力というか、豊かな人間性を持った教師であることだと考えます。 教育という営みは、詰まるところは教師と子どもたちとの人間関係(信頼関係)の上に築かれるものであり、子どもとの心のふれ合いが土台となってはじめて成り立つのではないかと思います。 それだけに、教師には一人の人間としての常識や正義感、他者への思いやり、人権感覚、さらには瑞々しい感性といったものが要求されるでしょう。  このように、教師には高い専門性と同時に、何よりも教師として、人間としての豊かな心が求められていると考えます。 豊かな心とは、人間としてのやさしさや謙虚さ、美しいものを美しいと感じ、間違っていることや不正なことを、それはいけないことだと正しく判断できる、そんな柔軟な感性に根ざした人間性の上に築かれるものではないかと思います。

  それらは、広い意味で「教養」という概念で捉えることができようかと思います。 教師には、そうした深い「教養」に支えられた豊かな人間性が求められていると言えるでしょう。 卒業生・修了生の皆さんにも、そうした自らの人間性を高めていくための自覚的な不断の努力を求めたいと思います。 自らの人間性を磨くということ、これも「言うは易く、行うは難し」ですが、志を高くもって日々精進してほしいと思います。
  ところで、私たちが生きている現代の社会は、携帯メールやインターネットに象徴されるように、高度に発達した情報消費社会であり、私たちのまわりには刺激と魅惑にみちた物や情報があふれています。しかし、そうしたあふれる物と情報の中で、人びとはかえって社会や人間関係から疎外され、自己中心の世界に閉じこもるようになり、他者の存在について思いやる感情が育たないなど、わが国における人間形成の危機的状況の進行が多くの識者によって指摘されています。昨年夏、一人の若者が「携帯サイト」に「秋葉原で人を殺します」と書き込んで実行に移した「秋葉原無差別殺傷事件」はその最たる事件でありました。
  現在のわが国社会は、政治も経済も出口がまったく見えない閉塞状況に陥ってしまっており、そうした中で、「非正規雇用労働者」と呼ばれる最も弱い立場に置かれた人たちが大量に整理され、文字どおり路頭に迷うという状況が各地に広がっています。また、多くの人びとが働く場で存在感を持ち得ず、いつ解雇されるか分からない不安定な状態に置かれています。そうした中で、社会全体がひどくヒステリックなストレス状況になっており、論理的な思考や冷静なバランス感覚が通用しない、社会そのものが没論理的なゆがんだものとなり、何かの衝撃によってあらぬ方向に一気に暴走してしまうような、あやうい側面を持っていることも否定できないと、私には感じられます。
  このように、私たちが生きる社会は、困難と矛盾に充ちた、ともすれば生きる意味や価値を見失いがちな社会でもあります。 私たちには今、価値観の異なる他者を一方的に否定し、排除するのではなく、相手が持っている自分との対等性を理解し、価値観の異なる他者の存在を受け入れ、他者と共存していく知恵を模索していく力が求められているのではないでしょうか。
  卒業生・修了生の皆さんは、最高学府で学んだ人間として、自らを律していくことはもちろんのこと、この不透明かつ閉塞的な社会にあって、それぞれの地域で他を導くリーダー的な存在になってほしいと思います。そして、一人の人間として大切にしなければならないこととは何か、人間が人間らしく生きることができる平和で安全な社会や地球をつくり出していくために、自分に何ができるのだろうかーこんな命題にも、思いをめぐらせることのできるような心をいつまでも忘れないで歩んでいって欲しいと思います。
  最後になりましたが、夏の教員採用試験に再挑戦する皆さん、どうか初志を曲げることなく、自分は是が非でも教職に就くんだという気概を忘れずに、綿密な準備を整えて果敢に挑戦してほしいと思います。 栄光が皆さんの頭上に輝くことを祈っています。
  若い皆さんの前途に幸多かれと祈念しながら、私のはなむけの言葉とします。

鳴門教育大学長
高 橋  啓
最終更新日:2009年03月18日

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