2018(平成30)年度入学式告辞

「教育の理想をめざす。国々より友がき集い。教育のふるさとここは」

 

 ただいま入学を許可いたしました学校教育学部111名、大学院学校教育研究科223名の皆さん、鳴門教育大学へのご入学おめでとうございます。
 鳴門市長 泉理彦 様、四国大学長 松重和美 様をはじめご来賓の皆様、ならびに本学教職員とともに、皆さんの入学を心からお祝いいたします。
 また、これまで皆さんを温かく見守り、支えてこられましたご家族や関係者の皆様に心から敬意を表しますとともに、お慶び申し上げます。
 キャンパスの桜の花も、今まさに真っ盛り。 皆さんを祝福するかのようです。

 鳴門教育大学は、非常に美しくて魅力的な大学です。国立大学の中でも有数の美しいキャンパスです。
 しかし、建物も大事ですが、本学が何より美しくて魅力的なのは、より良い教師、より良いカウンセラー、より良い国際教育の専門家というように、教育に携わる高度な専門職業人・プロフェッショナルを目指し、全国さらには海外から様々な経歴を持つ多くの人たちがこのキャンパスに集まってきており、多くの出会いがあるということです。
 高校あるいは大学を卒業してすぐの人、現職教員、社会人、留学生。そして、本学の教職員も、より良い教師、より良い教育を目指す皆さんを支えようと努めており、このキャンパスに集う一員です。例えば、本学の教員は、自信を持って皆さんを教えますが、同時に自らより良い教師、より良い教育を目指し、学び続けようとする謙虚さを持ち合わせています。
 まさに、本学は、先ほど皆で歌った本学学歌の「教育の理想をめざす。国々より友がき集い。教育のふるさとここは」という歌詞の通りです。

 

 ところで、「遠き代に生まれし島よ。通い合う橋は架かりぬ」という歌詞があったのを覚えておられるでしょうか。遠き代とは、いつのことを指すのでしょうか。
 46億年前に地球が誕生しました。それでは、日本列島が誕生したのはいつ頃かというと、2500万年前にアジア大陸から分かれ、1500万年前に現在の位置まで移動し、西日本の原型が誕生しました。そして、西日本の東端、伊豆あたりに火山島が次々と衝突し、500万年前に西日本と東日本が一つとなり、今の日本列島の原型ができたと考えられています。そして、2000年ほど前に、だいたい現在の日本列島の姿になりました。
 あるいは、8世紀初めに書かれた日本最古の歴史書である古事記によると、イザナキノミコトとイザナミノミコトが結婚し、日本の国を生んでいくのです。まず最初に生まれたのが、淡路島です。次に生まれたのが、四国です。その後、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州が生まれました。
 この最初に生まれた淡路島と二番目に生まれた四国の間にある島が、我が鳴門教育大学のある大毛島と高島です。そして、今では通い合う橋である大鳴門橋、撫養橋、小鳴門橋が架かっています。
 もちろん神話の世界と現実の世界を混同してはいけませんが、歌詞をもとにあれこれとイメージを膨らませていると、その歌詞が意味をもち、無味乾燥な言葉だったものが私たちの関心を引くようになり、歌っているときに情景が浮かんでくるのではないでしょうか。少なくとも、歌詞を忘れにくくなっていることでしょう。

 

 話が少し脱線しました。閑話休題。本学の教育成果の一つとして、学部卒業生の教員就職率8年連続第1位があげられます。また、大学院修了生の教員就職率も非常に高いとともに、現職教員も修了後リーダー教員として活躍しています。
 しかし、教師になれる、キャリアアップするということは大切ですが、その中身が問われています。カウンセラーや国際教育専門家も同じことで、その中身が問われています。つまり、「教師になる」「教師である」ということから、「どのような教師を目指すのか」、皆さん各自が考え、目標を立て、それに近づく努力を是非してもらいたい、と私は願っています。
 実は、私としては、皆さんに人間的魅力のある教師を目指してほしいと願っています。
 子供、保護者、同僚から、「鳴教大で学んだ教師は何か人間的魅力がある」と言われるようになってほしいのです。
 しかし、人間的な魅力のある教師とは、どのようなことを意味し、どのようにすればなれるのか、難しい問題です。人それぞれの思いや考えがあることでしょう。

 

 魅力ということは、関心や感動ということと関係しています。
 魅力ある授業、関心を引く授業、感動する授業は、そう簡単にできるものではありませんが、それを目標に多くの教師や学生が授業研究に励んでいます。そのように努力する教師の姿にこそ、私は魅力を感じます。
 けれども、子供たちの関心を引き感動させようとする気持ちを教師が持ちすぎると、かえって子供たちは引いてしまったり白けてしまうことがあります。
 むしろ、まず教師自身が子供たちに対して関心を持ち感動する心を持っていてもらいたいのです。
 先ほど取り上げた「遠き代に生まれし島よ。通い合う橋は架かりぬ」という歌詞は、一見したところたいした意味はありそうにないのですが、その背景を知ることにより、少し面白くなり、自分と近い存在となっているように感じませんか。
 同様に、子供のことを問題や課題とする所だけを見るのではなく、子供の背景や全体像をできるだけ見るようにして下さい。そして、冷たい目ではなく暖かい目で、それも鋭い目だけではなく、ときにはぼんやりと子供のことを見ていると、その子供のことが少し面白くなり、自分と近い存在となっているように感じてきます。
 さらに、子供のしていることを見ながら、子供の心臓と自分の心臓を重ね合わせるかのように想像していると、自分の心臓がどきどきとしてきて、自分の心が動いてくるのがわかります。それは感動と言うには小さなものですが、まさに感受性や共感ということです。
 そうすると、子供の喜びや楽しみが、我がことのように感じられます。あるいは、子供の戸惑いや悲しみも、我がことのように感じられます。ここに、教師と子供の心の交流が生まれるのです。私には、このような教師こそ、とても魅力を感じます。
 教師は、なんてすばらしい仕事でしょうか。

 

 最後になりましたが、新入生の皆さんが、本学において様々な交流と出会いを経験することによって、人間としてさらに成長していかれることを願っています。私も、皆さんとの出会いを楽しみにしています。
 以上、私の入学式の告示といたします。

 鳴門教育大学への入学、誠におめでとうございます。

 

 

2018(平成30)年4月4日

鳴門教育大学長  山下 一夫