2017(平成29)年度入学式告辞

『「ポスト真実」の世界において鳴門教育大学で「大人の知恵」を学ぶ』

 

 ただいま入学を許可いたしました学校教育学部116名、大学院学校教育研究科・修士課程188名、専門職学位課程45名の皆さん、鳴門教育大学へのご入学おめでとうございます。ご来賓の方々と教職員とともに、皆さんの入学を心からお祝いいたします。
 そして、これまで皆さんを温かく見守り、支えてこられましたご家族や関係者の皆様に心から敬意を表しますとともに、お慶び申し上げます。

 

 今年、キャンパスの桜はなかなか開花しませんでしたが、本日、皆さんを迎えるかのようにつぼみがほころんできました。そして、ワシントンヤシ、アメリカデイゴ、楠など、様々な植物も皆さんを祝福しているように思えます。

 

 さて、「post-truth、ポスト真実」や「post-factual politics」という言葉を、皆さん、耳にしたことはありませんか。
 POST-は、behind や after の意味を表して、新しく言葉を造る要素です。つまり、「ポスト○○」と言えば、「○○の後」というような意味です。さらには、「○○は古い、重要でない」というニュアンスも含んでいます。
 例えば、「ポスト山下」という言葉があったとすると、「山下の後の、鳴門教育大学の次の学長は」と言った意味であり、「山下学長は古い、過去の人」というニュアンスを含んでいます。
 それでは、「post-truth、ポスト真実」は、どのような意味かというと、世論形成において、真実や客観的事実よりも、感情や個人的信条に訴える方がより影響力がある状況のことです。そして、「post-factual politics」は、事実に基づかない政治、と言った意味です。
 イギリスのオックスフォード辞書は、2016年の今年の言葉に、この「ポスト真実」を選びました。イギリスのEU(欧州連合)離脱の是非を問う国民投票やアメリカの大統領選挙を反映したものです。

 

 「post-truth」や「post-factual politics」は、昔から我が国を含め世界中で存在し、その危険性は言うまでもないでしょう。
 さらに、年が改まり2017年4月現在、国際協調よりも何よりも「自国第一」で、事実かどうかは二の次にして「自国の正義」を振りかざし、他国の話に耳を傾けようとしない傾向が、一層強まってきているようです。世界中が刺々(とげとげ)しくなってきたように思います。

 

 事実を認めず、嘘をついて世論を誘導しようとする政治や教育に、私は強く反対しますし、非常に危機感を覚えます。
 しかし、イギリスのEU離脱に投票した人や、トランプ大統領に投票した人は、事実を全く無視して誤った判断をした、と言えるでしょうか。私は、そのようには思いません。この人たちがどのような理由で判断したのか、耳を傾けるべきでしょう。

 

 ところで、「事実は真実の敵だ。Facts are the enemy of truth.」と言った人を、皆さんはご存じですか。実在の人物ではありません。
 スペインのセルバンテスによって17世紀初め(1605,1615)に書かれた『ドン・キホーテ』をもとに、1965年にミュージカル作品として『ラ・マンチャの男』が発表されました。脚本は、デイル・ワッサーマンです。
 このミュージカルの中で、ラ・マンチャの男、つまりドン・キホーテが言う台詞が、「事実は真実の敵だ」です。
 日本でも、松本幸四郎が1969年より長期にわたり公演しており、娘の松たか子と共演したこともあります。1972年に映画化され、主演はピーター・オトゥールです。私がお勧めしたい映画の一つです。
 風車を巨人と思い突進したり、村の娘を貴婦人と思い込むドン・キホーテに、我々はいつの間にか共感しているのです。まさに、事実ではないが、ドン・キホーテが信じる真実に、心を動かされているのです。

 

 話を戻しましょう。刺々しくて、絶対的な真実が不確かな世の中にあって、私は大人の知恵として、一つ目は「科学の知と臨床の知」、二つ目は「山嵐ジレンマ」、そして三つ目として「アイデンティティ(identity)」について、皆さんに紹介したいと思います。

 

 まず、「科学の知と臨床の知」です。
 物事を客観的に対象化して、一般法則を見出そうとする近代科学の知により、世界は飛躍的に発展してきました。しかし、人間は人と人との間で生きているのであり、相手とどのように関わるかはとても大切な問題です。人間社会にあっては、科学の知とともに、臨床の知が必要とされています。
 中村雄二郎(1984・1992)は、個々の関係性を重視し、近代科学の知に対し、臨床の知の特色として、他者や物事との間にいきいきとした関係や交流を保ち、表面的な現実だけではなく深層の現実にも目を向ける、ことを挙げています。
 実際、教育現場では、臨床の知の一つとしての「生徒指導の実践的な知」が重要です。この生徒指導の実践的な知とは、次のようなことです。それは、目の前のその子ども(その人)と教師である自分自身のことを考えるとともに、その二人の関係、さらには二人をとりまく人々や環境、あるいは時の流れも考慮し、自らが自らの答えを求めるということです。
 また、河合隼雄(1983)によると、科学の知が原因と結果を考えるのに対し、臨床の知は前向きの意味を探ろうとする態度です。

 

 次に「山嵐ジレンマ」です。
 ドイツの哲学者ショ-ペンハウエルは、1851年に、次のような寓話を述べています。ある寒い冬の日、山あらしたちがお互いに暖め合おうとして近づくが、お互いが相手のトゲで傷ついてしまう。そこで離れるが、寒いので再び近づこうとする。そしてこのように近づいたり離れたりを繰り返すうちに、やがて山あらしたちは適度に暖かく適度に痛みを我慢できる、適当な距離を見つけ出した。
 「ジレンマ」とは、相反する二つの事の板ばさみになってどちらとも決めかねる状態
のことです。
 精神分析学の創始者であるオーストリアのフロイトは、1921年に、この山あらしのジレンマについて、人間関係だけでなく都市や国や民族の間にも起こると述べています。そして、距離が近く親密になればなるほど、自分との些細な違いに対しても敏感になり、憎しみがつのることがある、と論じています。
 私たちは、他人のトゲに対しては敏感ですが、自分もトゲを持っていることを忘れがちです。トゲは身を守るために大切な役割を果たしますが、相手を傷つけることもあります。理想は、相手と暖かさと痛みを分かち合う関係になれればいいのですが。

 

 三番目は「アイデンティティ」です。「同一性」と訳されています。
 この言葉の意味はともかくとして、聞いたことがある人は、結構、おられるのではないでしょうか。
 だれも皆、自分がポジティヴに思える所、長所や好きな所と、ネガティヴに思える所、短所や嫌いな所とがあります。ときには、ネガの感情に心がほとんど支配され、落ち込んだり、鬱状態になる人もいます。逆に、傷つくことに過敏ゆえネガの感情を押し殺し、ポジの感情を前面に出し、幼稚で尊大な威張りん坊になる人もいます。
 私にはポジな所もネガな所もあるけれど、私は私が好きであり、私は私だ、と思えていることはとても大切です。そして、このように思えていることが、実は「アイデンティティ」や「自尊感情、self-esteem」と言われていることです。
 さらに、相手に対してポジな所もネガな所も含めて、自分と同じ所も違う所も含めて、
全体として相手を尊重できるのが、成熟した大人の態度です。

 

 いよいよ、今日の告辞のまとめに入りたいと思います。
 一般の人間関係なら相手と距離を置き、さらには付き合わない、という手も十分考えられます。しかし、情報、ヒト、モノ、カネが世界中を駆け巡っている現在、鎖国をする訳にはいかず、いかに他国と付き合うのかは大事な問題です。
 そして何より、人間関係に携わる職業である教師や臨床心理士は、子供、保護者、あるいはクライエントと関わらないという訳にはいきません。
 人間の場合も国の場合も、良い関係を築こうと思うなら、事実も感情も大切にし、ポジな所もネガな所も含めて全体としてお互いのことを尊重することが、まず基本です。
 そして、お互いに見つめ合うだけではなく、焦らずあきらめず粘り強く、未来志向で同じ方向を見るようにすることです。これも、大人の知恵と言えるものです。

 

 最後に、皆さんへの私の願いを述べて、終わりにしたいと思います。
 どうか、皆さん、子供の心を大人になっても忘れずに持ち続けて下さい。そして、この鳴門教育大学で様々な大人の知恵を学んで下さい。
 さらに、この鳴門教育大学を卒業・修了するときには、鳴門教育大学で学んだことを誇りに思い、愛校心をもってもらえればと願っています。


 

 

2017(平成29)年4月5日

鳴門教育大学長  山下 一夫