私の生き方  -人と人とのつながり-

心理臨床コース臨床心理学領域2年生

李 千菁  リ センセイ(台湾)

 

 桜が咲く2014年の 4月、私はドキドキワクワクしながら、飛行機で3 時間の台湾からやってきました。そして、私の楽しい日本での生活が始まりました。

 学校でみんなとおしゃべりしたり、放課後はカラオケに行ったり、おしゃれなカフェに行ったり…毎日、とても楽しかったです。と言いたいところですが、残念ながら、今お話したことは、本当のことではありません。学校でも、家でも、私は一人でした。想像していた日本での生活とは違っていました。周りの日本人の話についていくことができず、周りに溶け込むことができませんでした。日本人が3時間でできるレポート課題も、私は三日もかかりました。また名前が「センセイ」ということでみんなの前で笑われたこともありました。中国語で留学生と話していたら、知らない人に「国に帰れ」と言われたことも あります。私はつらい、とってもつらくて、家で、一人で涙を流しました。心がくじけて、国に帰りたいと何度も考えたことがありました。

 しかし、そんな時、支えてくれた人がいました。それは、私が日本に来たばかりの時にお世話になったホストファミリーと、私に毎日「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってくれる大家さんです。ホストファミリーは、今でも、私のことを気にかけてくれて、 会いに来てくれます。大家さんは、外国人である私がアパートを借りられず困っていた時、「うちは大丈夫だよ」と言ってくれました。そして、日本語がまだまだできない私に、市 役所に連れて行ってくれたり、一緒においしい羊羹パンを買いに行ったり、大家さんのお孫さんとも一緒に動物園に行ったりもしました。そのようなたくさんの親切は、私にとって、どれほど嬉しかったことか、言葉で表現しきれません。それは間違いなく、私に元気 をくれました。ホストファミリーや大家さん、日台親善協会の方など、たくさんの人々に助けてもらいました。その時、私は気がつきました。私は自分がどれだけ恵まれているのかに気づきました。

 そして、また頑張っていけるようになりました。私は、さらに、日本語を勉強し、様々なイベントに参加して、地域の方々と交流しました。日本の伝統文化を勉強するために、茶道部にも入部しました。茶道にある「相手を思いやり、尊重し、もてなす心」を学びました。 そして、たくさんの人々と話すことによって、一つ気がついたことがあります。それは、自分の思考は変えることができるということです。「センセイ」と言う名前で笑われたこともありますが、今は人に覚えてもらいやすい名前だと思えるようになりました。今日、みなさんがおうちに帰っても、私の名前を忘れることはないでしょう。「センセイです」(笑)

 そして、私は日本で自分の夢を見つけました。それは、臨床心理士になることです。こ れから日本に来る外国人は、留学生以外にも、どんどん増えるでしょう。その中で、言語や文化の壁で、誰かに相談することが難しく、ずっと一人で悩みを抱え込み、こころの病に罹る人もいます。そのため、日本で心理士になって、そのような人たちの力になりたいと考えています。今は大学院で、専門的なカウンセリングについて勉強しています。授業は決して簡単ではなく、大変ですが、辞めたいと思うことはありません。それは、離れた台湾からずっと支えてくれている家族がいるからです。また、先生方やクラスメートがいるからこそ私は今ここにいることができます。

 私は日本でたくさんの人々に支えてもらったことを決して忘れません。これからも、このつながりや経験を大切にして、次は私が、臨床心理士となって、たくさんの人の心の支えになれるよう頑張りたいと思っています。

 

最終更新日:2020年8月12日