大村はま「学習の記録」の特質

大村はま先生指導の「学習の記録」について 【特質とその意義】

  大村はま先生は,1928(昭和3)年,諏訪高等女学校に赴任以来,書くこと・作文 の指導を中核として,ことばの力を育て,学習者ひとり一人が社会的存在としての自己を確立するように図ってこられた。
  大村教室では1933(昭和8)年ころから,教室で書くべきこと,考えたこと,一課の終わりのまとめや感想などを「国語筆記帖」に書かせるように導かれた。
  そこから得た大きな収穫として,まず,(1)明確に判らねば書けないことが確かめられ,学力のうえで大きな進歩があったこと。 (2)学習への愛着がわくこと。 (3)優れた生徒も遅れた生徒も,その力相応に励み,伸びること。 また,(4)生徒各自の特徴・長所,個性に応じた指導面が明らかとなり,(5)指導者と生徒の関係が温かいものとなること。さらに,(6)日々の学習ぶりが学力の実態とつながり,評点を競うことがなくなったこと。そして,(7)指導者自身,授業の結果を評価したり,不徹底なところを反省したり,新しい工夫に耽らせる,と述べておられる。【「国語筆記帖について」(「同志同行」1938.5月号)】 まさに,当時の教育上の問題を解決してゆく喜びが記されている。
  戦後は,新しい民主主義社会に必須の力を,「明晰に考える力」と「話し合う力」にあるとの考えをもとに,話し合いができ,言語文化の基礎力を養い,語彙を豊かにし,言語感覚を育て,発見・創造のための読書生活力を志向した学習生活のすべてを「学習記録」に収斂させることによって,前人未踏の単元学習を展開してこられた。ここには,資料プリントも,先生からのてびき・通信も,グループによるシナリオやクラス新聞も,教室で考えたことも罫紙に書きとめられーーその書き方についても,てびきをし,工夫をこらしてーー単元・学期ごとに綴じられている。
学習記録
  これらの記録について,大村はま先生は,「学習記録は,一度返しまして,『これは私が勉強したいため,よかったら,私の手許に預からせてほしい』と手紙を添えました。その人たちが,『では,どうぞお使い下さい』と残してくれたもので,私にとって宝物でありました。学習者たちの残した誠実な勉強の姿は,研究テーマの宝庫であり,本当に大事なことだったと思います。子どもをとらえるチヤンスになりました。いろいろな問題について実践のものでないとお話できないような機微があります。私の仕事のほとんどは「学習記録」の勉強にあった。」と語られている。
  現在,この「大村はま文庫」には,1934(昭和9)年に諏訪高等女学校に入学した今井密子さんの1・2年生時の国語筆記帖をはじめ,諏訪高女の卒業生,東京大空襲の時「作文帖」だけを持って逃げたと聞く,東京府立第八高等女学校の吉田(山口)恵美子さんの一年間の作文の記録,また,戦後のいわゆる「大村単元学習」を先生とともにきり拓いてきた深川第一中学校・目黒第八中学校・紅葉川中学校・文海中学校・石川台中学校の学習者の「記録」など,2060冊が保存されている。
  これらの「学習記録」によって,大村はま先生の実践の構造をみていくと,知識・技能を含む学力が重層的に捉えられている。また,目標(学力観)をはじめ,内容・方法・評価を通じて,学習のプロセスが,そのまま学習力・学力となっていることが明らかである。それら学習生活のすべてを学習記録に収斂させていくことによって,大村先生は現在求められている「自己学習力」のもととなる,「自己評価力」を育ててこられた。自己評価力が育った学習者は,いかなる場面においても,自己をみつめ,自己の課題を克服するために,自己学習力を発動して次の学習に取り組んでいく。 そこには,指導者が,常に次の時代をみすえて,もつべきものに関心をもたせ,螺旋状に学力を育てることで,学習力を身につけていかれた実践の営みが浮かびあがっている。
橋本暢夫第6代附属図書館長