所長だより046 「3%の恋」

2016年2月10日

 恋愛について、私が大きな影響を受けた本が2冊あります。一冊は、思春期という「疾風怒濤の時代」が始まった頃に読んだ、トルストイの『性欲論』、そしてもう一冊は、30歳を過ぎてから読んだ、中島らもの『恋は底ぢから』(1987)です。

 巷では、ベッキーさんと川谷さんの問題が盛んに報道されています。私自身は、ベッキーさんは好きでも嫌いでもなく、また川谷さんのバンド「ゲスの極み乙女。」の曲も聞いたこともないので、特に関心があるわけではありません。ただ、先日ネットで見た、この問題に関する島田紳助さんのコメントが強く印象に残りました。

 紳助さんは、暴力団関係者との交際が報道され2011年に芸能界を引退しました。その問題については、ここで論じるつもりはありませんが、私は、タレントとして活動していた頃の紳助さんの言葉や文章に共感を覚えることが時々ありました。

 たとえば、子育てについて、紳助さんのこんなエッセイがあります。

 

 長女が高校生のとき、こういうことがあった。

 Mr.Childrenが大好きだった彼女が、CDを買ってくれというのだ。

 いくらだと聞いたら、三千円だという。僕はこう答えた。

「俺なあ、お前がよそのねえちゃんやったらなんぼでも買うてあげるんやけどな。CDなんか一日10枚でも20枚でも、服でもなんでも買うたるわ。そのおねえちゃんがそれで僕のこといい人やと思ってくれさえすれば、あとはどうなってもかまへんから。でも、お前は愛する娘やから、買うわけにはいかんのや。お前に俺がものを買うてやるやろ。お前は喜ぶわな。その喜んだ顔見て、親はすごく嬉しいのや。でもそれは、自分の金でCD買うというお前の喜びを、親が奪ってるのや。だから親は買うたったら、あかんねや。その喜びはお前の喜びにしなあかんねから。自分で買いや、がんばれや。」

 娘はわかったと言って、その翌日から何か始めたらしい。学校から家に帰ってくると、毎日のように、腹減った、腹減ったと言っていた。

 一ヵ月後、娘はそのCDをかかえて僕のところにやってきて言った。

「おっとう見てくれ、三千円のCD買うた。毎日昼食代を百円ずつ節約して買うたんや。めっちゃ嬉しいわ。おとうの言ったことわかったわ。なんか、自分で買うたっていう気がすんねん。」

 僕だって娘に、「ほかのねえちゃんにはなんぼでも買うたるんやけどな」なんて話をするのは、とても抵抗がある。でも、その話が今は必要だと思うから、頑張って話をしているのだ。

 おかげでウチの子供たちは、精神的にしっかり自立している。

 

 私は、このエピソードを大学の授業で紹介したことがあります。自らの「メサイヤ・コンプレックス」(自分が“良い人”でありたい、自分が救われたいという心理で、やたらと人のために何かをしようとするコンプレックス)に無自覚な教師の「お節介」が、児童生徒の自立の芽を摘んでしまうこともあるということを考えるヒントになると思ったからです。河合隼雄先生は『コンプレックス』(1971)の中で、悩める人のためにつくしたいと思う人は、「先ず救われるべき人は、他人なのか、それとも自分なのか」と自問しなければならないと述べておられます。

 閑話休題。そんな紳助さんが、今回のベッキーさんと川谷さんの騒動について、こうコメントされたそうです。

 

芸能界と関係ない僕が言うのもなんやけど、ベッキーもかわいそう。他人にヤイヤイ言われて。スポンサーやスタッフにはお詫びをしないといけないけど、すべてを失っていいと思って人を好きになるって、すごいやん。あんたらできるのか?そんな恋したことあるのか?と言いたいね。俺が現役なら、そう言ってましたわ。ロクに恋もさせてもらえなかった31歳のベッキーが人生かけた恋を、人生かけて恋したことない人間には理解してもらえないよね。タレントとしてはダメなベッキーかもやけど、僕はすべてをかけたベッキーが素敵に思えます。モラルやルールは分かるけど、それを超えた恋をした人は、3%もおらんよね。だから、世の中の97%に拒否される。でも3%は分かってくれる。

 

ちなみに、「恋に夢中なんですよ。恋に溺れてるから、ほっといてあげていいんじゃないかしら。大きなお世話だと思うの。人の恋路を邪魔することはないと思う。」というデヴィ夫人の言葉も印象に残ったコメントのひとつです。

映画「男はつらいよ」の第42作『ぼくの伯父さん』。寅さんの妹のさくらの一人息子である満男の初恋がテーマです。大学受験に失敗し浪人することになった満男は、高校の後輩で、家庭の事情で九州に転校していった泉に思いを寄せるようになります。しかし、打ち明けられない苦悩、勉強も手につかない日々…、満男は寅さんに泉への恋を告白します。そして、思い立って、バイクで泉のいる佐賀に向かいます。

 泉は、両親が離婚し、佐賀の叔母の家に引き取られたのでした。満男は、わずかな手がかりを基に、やっとの思いで、泉の住む家を探し出します。

 ある日、満男はバイクで泉と二人乗りしてデートします。そして、少し帰りが遅くなり、泉は叔父(高校教師)に叱られます。叔父は、満男に対しても、

「東京じゃ、高校生のバイク乗りは許されとっとね?」

「高校、卒業しました。」

「ああ、浪人やったな。受験ば控えた今頃、バイクで九州旅行するくらいじゃけんが、よっぽど秀才じゃろ。偏差値は80くらいか?」

と皮肉を言います。

 一方、寅さんも、九州で仕事中に、偶然、安宿で満男と出会い、甥の恋を応援すべく、泉の家に行きます。そして、バイクでのデートの件を謝ります。

「泉はうちの娘じゃのうて、預かった子ですたい。こっちには責任ちゅうものもあります。正直言うて、保護者の私たちの了解もなく、バイクで突然来られたりするのは迷惑です。二度とこがんことのおこらんよう、ご指導ください。」

 頭を下げ、帰ろうとする寅さん、しかし、立ち止まって振り返り、こう言います。

「私のような出来損ないが、こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、私は、甥の満男は間違ったことをしていないと思います。慣れない土地へ来て、寂しい思いをしているお嬢さんを慰めようと、両親にも内緒で、はるばる、オートバイでやってきた満男を、私はむしろ、よくやったと褒めてやりたいと思います。」

 その後、寅さんは、泉の通う佐賀県立小城(おぎ)高校へ向かいます(ロケ地に選ばれた小城高校は実在する県立高校で、以前に私が担当していた現職院生さんの勤務校だったので、私も訪れたことがあります)。そして、正門で、泉に、こう声をかけます。

「満男が迷惑かけたらしいな。勘弁してくれよ。」

「何とも思ってない。満男さんに会ったら、言っといてください。あたし、ちっとも怒ってないって。」

「ありがとう。」

(昼休みが終わるチャイムが鳴る)

「おじちゃま、もう行っちゃうの?」

「うん、おじちゃまはこれから商売だから。」

「寂しくなる…。」

「そりゃ、しょうがない、会うは別れの始めと言ってね…。でも、おれは旅人だから、一年中、旅してる。また顔を見に来るよ。行きな。勉強…。」

「さよなら。」

「あのな、早いとこ、この土地の言葉を覚えて、いい友達をつくんな。よかか?」

「よか。」

「よか。」

寅さんが満男を褒める場面、泉(後藤久美子が演じています)が微笑みながら「よか」(わかりましたという意味)と言い寅さんが「よか」(それでいいという意味)と言う場面、いずれも、私の大好きな場面です。紳助さんが、ベッキーのことを「すべてを失っていいと思って人を好きになるって、すごいやん。」と言った言葉から、私はすぐに、寅さんの「満男を、私はむしろ、よくやったと褒めてやりたいと思います。」という言葉を思い出しました。

中島らもは、『恋は底ぢから』でこう書いています。

 

 稲垣足穂は、

「詩というのはね、歴史性に対して垂直に立っているのです」

と言っている。

 これはそのまま

「恋愛は日常に対して垂直に立っている」

と言いかえても間違いではない。

 極端に言えば、恋愛というのは一瞬のものでしかないのかもしれない。

 ただし、その一瞬は永遠を孕んでいる。

 その一瞬は、通常の時間軸に対して垂直に屹立していて、その無限の拡がりの中に、この世とは別の宇宙がまた一つ存在しているのだ。

 

 モラルやルールに絡まれた日常に対して垂直に立っている恋愛、時に人は、すべてを投げ捨ててでも、愛する人のもとへ向かい、「一瞬の永遠」を見出そうとするのかもしれません。そんなことを考えていると、何となく、私も、ベッキーさんにエールを送りたいような気持ちがしてきました。そして、生徒指導における児童生徒理解に関しても、紳助さんのコメントを踏まえて言えば、世の中の97%の人々の常識・良識を認識しつつ、3%の人たちの切なる生き方にも心が開かれているような姿勢が、教師には必要なのではないかと思いました。3%の人たちの生き方は、危うさを秘めています。けれども、その「一途さ」に心を打たれることが誰にもあるはずです。最後に、私の大好きな、何回読んでも心が震え目頭が熱くなる、中島らもの、3%の恋に走った知人についてのエッセイをご紹介します。

 

 僕の知人で、大阪で仕事をしていた人が、ある日突然東京に引っ越しをしてしまった。(大阪の仕事を捨て去ることになるし、東京に友人がいるわけでもないので)どうして行くのかと尋ねると、知人は言い渋っていたがやがて、

「それは、好きな人が東京に住んでいるからだ」

と答えた。

 彼はその2、3年前にある女の子に非常に激しい片想いをしていた。が、いろいろな事情があってその想いは通じることがなく、相手の女の子は東京へ出ていってしまった。

 その後の風の便りによると、女の子は東京で恋愛をして、その相手と同棲するようになったらしい。

 知人は一人大阪に住み暮らして、もうそのことは忘れたものと誰もが思っていたのだが、それほど浅い想いではなかったようだ。

「そうやって幸せに暮らしているのなら、それはそれでいい。住所も知っているけれど、会いに行けるわけはない。絶対に行かないと思う。ただ、東京に住んでいれば、何百万分の一かの確率でも、道でばったり会う可能性というものがあるだろ。その思いだけがあれば一日一日をやり過ごしていける。それに東京に行くといつもこう思うんだ。あの人が息を吐くだろ。僕が息を吸うだろ。それはつまりひとつの空気をやりとりしていることなんだ。雨がふったらその同じ雨に濡れるということなんだ。ホテルの窓から夜景を見たりすると、いつも思う。あの光の海の中の、どれかひとつが、あの人の住んでいる家の、窓の光なんだ、と。そう思っているだけで生きていける。大阪にいるとね、それがないんだ。ここには何もない。ここにいる間は生きてても死んでいるのと同じだ。だから、東京に住むことに決めた。」

 僕はこれを聞いて不覚にも落涙しそうになった。どうしようもない奴だ、とは思った。そんな糞の役にも立たないセンチメンタリズムをかかえていて、どうやって生きていくつもりなのか、と腹も立った。

 頭ではそう考えているのだが、体の奥のどこか不可視の部分がざわざわと揺れ動いて共感を訴えてくるのをどうしても止めることができなかった。

≪中島らも(1993)『獏の食べのこし』より。≫