所長だより033 「風の谷」

2015年11月11日

 本年度、私をはじめ本学の4人の教員が、徳島県の「小中一貫教育(徳島モデル)推進事業」の委員を務めています。先週11月6日に、この事業の今年度の指定校となっている三好市の西祖谷(にしいや)中学校・檪生(いちう)小学校・吾橋(あわし)小学校の、小中連携による英語の授業を参観させていただき、その後、交流研修会を開きました。

 近年の急激な少子化の進展、若年人口の大幅な減少は、我が国が直面する大きな課題となっています。徳島県の人口動態予測でも、今後20年間で総人口はおよそ2割の減少、14歳以下の年少人口はおよそ4割の減少が見込まれています。20年後には、徳島県は、明治維新以降かつて経験したことがない「子どもの数の少ない社会」を迎えることになるそうです。こんな中で、現行の学校制度に基づいて学校規模を維持しようとすると、統廃合をどんどん進めていくしかないことになります。けれども、地域における学校の存在意義は、地域における義務教育対象年齢の子どもの教育の機会均等の問題であるだけではありません。地域に学校があり、子どもの姿があり、子どもを持つ若い親がいて、学校が地域住民をつなぐ場となり、子どもと大人・大人と大人の交流が生じ、子どもは地域への愛着を深め、大人は地域の担い手の継承者としての子どもの姿に未来を託す希望を見出し、地域住民の紐帯が深まり、地域が維持・継承されていく…、このように考えると、地域コミュニティの維持の問題としても、学校の存在意義は極めて大きいと言えます。

 そこで、本学と徳島県教育委員会は、2012年度に共同研究「徳島県における今後の人口減少社会に対応した教育の在り方研究」に取り組み、2013年3月に最終報告書を公表しました。私もこの共同研究に参画し、中長期的な人口減少社会を見据えた本県独自の学校教育の在り方として、徳島モデル(チェーンスクール・パッケージスクール)を提唱しました。「小中一貫教育(徳島モデル)推進事業」も、その流れの中で生まれた事業です。

 西祖谷地区には、多くの外国人観光客も訪れます。そこで、西祖谷中学校・檪生小学校・吾橋小学校では、英語の観光マップ作成・配布や、西祖谷中学校生徒会公認キャラクター『イヤだもん』の缶バッチの制作・販売などの活動に取り組んでいます。11月6日の授業「『英語でおもてなし』~英語で缶バッジを売ろう!~に向けてのリハーサル」では、西祖谷中学校の3年生生徒3人と檪生小学校・吾橋小学校の児童13名が、翌日の缶バッジ販売の本番に向けて、参観者を相手に、英語で呼び込み・説明・販売を行うアクティビティが展開されました。

 

 11月5日の徳島新聞、連載記事「徳島発幸せここにインタビュー編」に、シンガーソングライターのさだまさしさんのこんな言葉が紹介されていました。

    今、地方に幸せを求める人が増えている。

    たぶん、都会って体温を感じにくい街なんですよ。

    一人一人がいっぱいいるだけだから。

    地方だと自分の存在を認めてもらえるのも幸福につながっているのではないか。

 本当にそう思います。所長だより022 「ホーム」でご紹介した中島みゆきさんの「帰省」(2000)には、「人は 多くなるほど 物に見えてくる」という歌詞が出てきます。

 続けて、さださんはこう語っています。

    住んでいる人は「何もないところ」とすぐに言う。

    けど、何もないところなんてあったことがない。

  それぞれ素晴らしいと思う。

 私は、県教委との共同研究で、少子化の中で学校の活性化に取り組んでいる先進実践事例に学ぶべく、いくつかの地域・学校を訪問しました。徳島県美波町立伊座利校では「なにもないけど、なにかある」というキャッチフレーズに出会いました。徳島県那賀町立北川小学校では「都会にあるけど、ここにはない。ここにあるけど、都会にはない。」というキャッチフレーズに出会いました。島根県隠岐の海士町では、「ないものはない」というキャッチフレーズに出会いました。海士町のパンフレットには、「ないものはない」のこころをこう説明されています。

『ないものはない』という言葉は、

(1)無くてもよい (2)大事なことはすべてここにある 

という二重の意味をもちます。

離島である海士町は、都会のように便利ではないし、モノも豊富ではありません。

しかしその一方で、自然や郷土の恵みは潤沢。暮らすために必要なものは充分あり、

今あるものの良さを上手に活かしています。

地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、

シンプルでも満ち足りた暮らしを営むことが真の幸せではないか? 

何が本当の豊かさなのだろうか?

東日本大震災後、日本人の価値観が大きく変わりつつある今、

素直に『ないものはない』と言えてしまう幸せが、海士町にはあります。

このような訪問調査で出会った人々・言葉を振り返りながら、私は、県教委との共同研究の最終報告書のあとがきにこう記しました。

決して楽観しているわけではないけれども、本研究に携わる中で、私自身は、ピンチをチャンスに変えていく一筋の光を見出せた心境にある。その根拠は、「過疎」「廃校」などの課題に直面している地域の取組を視察した際に出会った方々の、忘れられない生き生きとした表情である。

徳島県立文学書道館で昨年、「恋と革命に生きた女たち: 寂聴90歳記念展」が開かれた。瀬戸内寂聴さんが小説『美は乱調にあり』でその生涯を描いた伊藤野枝(私は野枝の四女の故伊藤ルイさんと少しご縁があった)の関係資料に関心があり出かけた。展示を見ていて、野枝の夫の大杉栄の言葉を思い出した。

「運動の理想は、そのいわゆる最後の目的の中に自らを見出すものではない。

理想は常にその運動を伴い、その運動とともに進んで行く。

理想が運動の前方にあるのではない。

運動そのものの中にあるのだ。運動そのものの中にその型を刻んで行くのだ。」

地域活性化の取組がめざしている理想が「人と人が助け合い支え合い充足感を持って共に生きていく地域コミュニティ」であるならば、地域活性化の取組の中にその型が刻まれているはず…、そんな私の希望的観測は、視察の中で確信に変わった。たとえば、何時間もかけて山あいの道路を辿り訪問した那賀町の北川小学校と山村留学センター結遊館では、お話しを伺った皆さんの柔らかい表情が印象的だった。「つましやかな」「のびやかな」「持続可能な」「人々が寄り添って生きている」村だと思った。徳島に「風の谷」があったと思った。

「希望は叶えることだけに意味があるのではなく、

むしろ困難を経験しつつ『希望を育んでいく』ことにこそ、本当の意味がある。」

希望学を展開しておられる東京大学社会科学研究所のパンフレットの言葉である。たとえば、隠岐の海士町で出会った皆さんの表情は、まるで“希望を育んでいく”ことを楽しんでおられるかのように輝いていた。

本報告書の作成を後押ししてくれたのは、徳島で、そして日本各地で地域の活性化にかかわっておられる人々の知恵と願いであり、理想と希望であったように思う。

西祖谷中学校の公開授業でも、子どもたちの生き生きとした表情、小学生から慕われリスペクトされる中学生の頼りがいのある表情、さまざまな工夫を楽しんでおられるかのような先生方の表情が強く印象に残りました。授業の主担であった西祖谷中学校の芳川未弥先生は、小中連携を進めるには、小学校に出向いての授業や、地域に出向いての準備などの「手間」がとてもかかるけれども、「手間が楽しいんです」と笑顔で語っておられました。ここにも「風の谷」があると思いました。

この事業を通じて、私は、西祖谷の方々と一緒に、少人数でもできること(デメリットの最小化)、少人数だからこそできること(メリットの最大化)を、そのプロセスを楽しみつつ、探っていきたいと思っています。

 

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