所長だより022 「ホーム」

2015年8月26日

 8月22日・23日に、徳島市内のホテルで、鳴門生徒指導学会と同窓会が開催されました。学会・同窓会は毎年夏に開かれ、学会は今年が第25回、同窓会は今年が第26回と回を重ねてきました。参加者の中には、第1回から毎年欠かさず参加してくださっている方もいらっしゃいます。

 同窓会の冒頭の挨拶で、鳴門生徒指導学会会長の山下一夫先生(本学理事・副学長)は、毎年一度は帰ってくることができる「ホーム」があることの大切さを話されました。

 山下先生は、「依存と自立のサイクル」について、次のように書いておられます。

 

   サルだけでなく人間も、やすらぎを与えてくれる母親を基地として、外界に好奇心を向け積極的に行動に出ていく。そして再び基地である母親のもとに戻り、「エネルギー補給」するかのごとく活力を回復する。このような母親との相互交渉を通じ、自分自身と世界に対する基本的信頼感や基本的安心感を心のなかに築いていく。さらに(成長するにつれて)、依存と自立のしかたが変わっていき、依存出来て心がやすらぐ対象が、父親・家族・友人・恋人、あるいは思想・宗教・自然などへと広がっていく。そして、家庭と学校・職場とを行き来するように、依存と自立を繰り返すことによって、人間は円環的・螺旋的に成長していく。

    ≪山下一夫(1999)「生徒指導の知と心」≫

 

「ホーム」とは、このような、信頼・安心できる場でエネルギーを補給して再び頑張っていくための「安心基地」という意味だと思います。

中島みゆきさんが言うと、こうなります。

 

  遠い国の客には 笑われるけれど 

押し合わなけりゃ街は電車にも乗れない

まるで人のすべてが 敵というように

肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく

けれど年に2 8月と1月 

人は はにかんで道を譲る 故郷(ふるさと)からの帰り

束の間 人を信じたら もう半年 がんばれる.

   ≪中島みゆき(2000)「帰省」≫

 

考えてみれば、私たち教員が担当する学級も「ホームルーム」と呼ばれますね。子ども達にとっての「ホーム」となるようなクラスをつくることが私たちの願いですね。

所長だよりでは、いじめを扱った小説ということで、重松清さんの作品を紹介しましたが、私が初めて読んだ重松さんの小説は「卒業ホームラン」です。反抗期の娘の「頑張ったら、何かいいことあるわけ?」という問いかけが大人を揺さぶるお話しです。

加藤徹夫・佳枝・典子(中2)・智(小6)の4人家族の物語。父徹夫は息子の智が所属する少年野球チームの監督です。しかし、智はレギュラーになれません。一方、中学2年生の典子は反抗期、冬期講習のお金を使いこんだ典子を徹夫が「来年は受験なんだぞ」と叱ると、典子は徹夫を憐れむように

「頑張ったって、しょうがないじゃん」

「頑張ったら、何かいいことあるわけ?その保証あるわけ?」

と反論します。そして、言葉に詰まる徹夫に、まるで幼い子どもに諭すような口調で

「ないでしょ?」。

と言います。智は毎日の練習でひたむきに頑張っていますが、レギュラーになれません。徹夫は、

父親と監督の立場の間で苦悩しています。だから、言葉に詰まったのでしょう。

「努力が大事で結果はどうでもいいって、お父さん、本気でそう思ってる?」

「勉強すれば絶対にいい学校に入れる?いい学校に行けば絶対に将来幸せになれる?

 そんなことないじゃない。

 みんなそれ見えてるのに、とりあえず努力しますとかって、なんか、ばかみたい。」

 やがて、智たちのチームの最後の試合の日を迎えます、徹夫は智を使うかどうか迷いますが、結局、最後の試合も出場させませんでした。

「後悔はしない。勝つためにベストを尽くしたのだ。

 それでも…おれは智の父親として、この監督のことを一生許さないだろう。」

試合後、徹夫は智に声をかけます。

「中学校に入ったら、部活はどうするんだ?」

「野球部、入るよ。」

「でもなあ、レギュラーは無理だと思うぞ。はっきり言って…。」

そのとき、智は徹夫が思いもしなかった言葉を返します。

「いいよ、だって、僕、野球好きだもん。」

徹夫は、「一瞬、言葉に詰まったあと、両肩から、すうっと重みが消えていく」のを感じます。それは、「拍子抜けするほど簡単な、理屈にもならない、忘れかけていた言葉」でした。

「ピンチヒッター、加藤!」

徹夫は、智を促し、バッターボックスに入らせます。そして、智が少年野球を卒業するにあたってのイニシエーション(儀式)を行います。

「三球勝負だぞ」

マウンドに立った徹夫は、「野球が大好きな少年への礼儀」として全力投球します。

1球目、2球目は空振り。

「しっかり見ろ!」

そして3球目、ボールはなんとかバットに当たりました。打球はフライとなり、センターの守備位置に入っていた母の佳枝の前にポトリと落ちます。

「ホームラン!」

佳枝が叫びます。

儀式を終え、帰り支度をしていると、佳枝が「あ」と土手のほうを向いて声を上げます。この日の模擬テストをさぼった典子が、土手の上から見つめていたのです。

 徹夫は、ホームベースという言葉をつくった誰かさんに「ありがとう」と言いたい気分になります。

 

 私は、この小説の次の一節が大好きです。

    家だ。野球とは、家を飛び出すことで始まり、

    家に帰ってくる回数を競うスポーツなのだ。

 「依存と自立のサイクル」に通じていると思います。

鳴門の地で生徒指導を考える営みは、これからも続きます。鳴門生徒指導学会も、これからさらに回を重ねていきたいと願っています。