所長だより017 「神田川」

2015年7月22日

 前回は、70年代フォークの名曲『人間なんて』を通して、自尊感情について思うことを書いてみました。今回もフォークソングネタです。

 繰り返しになりますが、「自尊感情」について、私は、その教育的意義を理解しつつも、どこかしらフィットしない感じを拭えずにいます。「自尊感情」ブームは、ひょっとしたら、「only one」「let it go」などのブームと通底しているのかも…そんなことを感じることがあります。

 20年ほど前、私は、当時勤務していた高校が普通科から大阪初の総合学科に改編(1996年)するにあたり、総合学科のポリシーを説明するキーワードとして、「only one」をしばしば使いました。その後、大阪知事に就任(2000年)された太田房江さんが「オンリーワン企業」などのかたちで「only one」を好んで用いられ、さらに、“No.1にならなくてもいい もともと特別な only one”の歌詞が印象的なSMAPの『世界に一つだけの花』がヒット(2003年)するなかで、「only one」は一気に世間に広まりました。

 元来、私は、何事でもブームになった途端にその影の面が気にかかり醒めた目で見てしまう“へそ曲がり”な性分なので、やがて「only one」も使わなくなりました。それどころか、

 ナンバーワンにならなくていい、オンリーワンになれだぁ?

 ふざけるな。

 オンリーワンていうのは、その分野のエキスパート、ナンバーワンのことだろうが。

というような言葉(2005年のテレビドラマ「ドラゴン桜」で阿部寛が演じた桜木建二のセリフ)に心が動くようになりました。

 『アナと雪の女王』については、別に意固地になって拒絶しているわけではなくて、たまたま観るきっかけがなかっただけですが、これほど「let it go」が流行ると、「おじさんたちは“let it go”世代ではなく“let it be”世代なんだけど…」とつぶやきたくなります。「let it go」、誤訳だという意見もありますが“ありのままの”ですね。“自己肯定感”とも関係しているかもしれませんが、私は、“ありのまま”“あるがまま”という考え方の教育的意義を理解しつつも、これらの言葉にもどこかしらフィットしない感じを拭えずにいます。“自然体”という意味なのでしょうが、私たちの世代の人間は、「自然に生きてるって、わかるなんて、なんて、不自然なんだろう」(吉田拓郎1970年『イメージの詩』)と言いたい気持ちにもなります。

 ある会社の社長である横山信弘さんが、ネットのニュースで「『綺麗ごと』を真に受けるな!『キラキラワード』が日本をダメにする」というおもしろい文章を書いておられました。横山さんは、たとえば「心の底からやりたいと思えることだけやればいい」などの言葉について、

そんなはずはありません。「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」の3つを並べたとき、「1.やるべきこと」「2.やれること」「3.やりたいこと」の順序にならないといけません。まず「やるべきこと」を実践し続けることで自分の「やれること」が増えていきます。そうして「やりたいこと」ができるようになるからです。特に若い人、これから社会人になる人はこういう「キラキラワード」に惑わされないようにしてもらいたいです。

と書いておられます。“ありのまま”も、一つ間違えると、世の中の不条理と向かい合いながら生きていかなければいけない人の宿命を覆い隠す「キラキラワード」に陥るのではないかと思うときがあります。

 前置きが長くなりました。フォークソングネタということで、今回、ご紹介したいのは、これも70年代フォークの名曲である『神田川』(1973年、かぐや姫)です。サビの部分の歌詞は

   若かったあの頃 何も怖くなかった

 ただ、あなたの優しさが怖かった

です。当時高校生だった私は、この部分の意味を、「優しい人と巡り合い共に暮らす中で、あまりに幸せすぎて、いつか何かが変わっていくことが怖いということを歌っているんだ」と思い込んでいました。

 ところが、そうではありませんでした。

 今年の1月にNHKで放映された「団塊スタイル“神田川”にこめた青春~南こうせつ~」の中で、作詞者である喜多條忠(きたじょう・まこと)さんは、「怖かった」の意味をこう話されました。喜多條さんは当時26歳、仕事を始めた頃で、「社会へ入っていくための青春との決別というか…、もう結婚もしてましたし…、『俺の青春は一言でいうとこうだったんだよ』という総括みたいなね…」という気持ちで、学生運動が盛んだったころに同棲していた女性のことを思い出しながら『神田川』を作詞されたそうです。そして、当初の歌詞は、

   「若かったあの頃 何も怖くなかった」で終わっていたんですけど、

 じゃあ、「怖いものはなんだろうな」と思った時に…、

   当時、学生運動に行って…、僕らも時々デモ行ったりしていて…、

   命からがら、帰ってきて…、

   彼女がエプロンをして、カレーライスのタマネギなんかを刻んで炒めたり…、

   その後ろ姿を見て…、

 俺が本当に帰りたい世界は、こういう温かい幸せなのかなと思った

のだそうです。そして、喜多條さんは続けてこう話されました。

 俺が本当に帰りたい世界は、こういう温かい幸せなのかなと思った時に、

 逆に、それじゃあ多分いけないんだろうなというふうに思ったんですよね。

 だから、

 「ただあなたの優しさが怖かった」っていうのを付け加えたんですね。

驚きました。「ただ、あなたの優しさが怖かった」というのは、幸せな、平穏な、小市民的な“日常”に埋没してしまいそうで「怖かった」という意味であることを知りました。喜多條さんのこの言葉を受けて、南こうせつさんは、

   幸せな彼女との世界、このままで終わっていいんだろうか、

 そこが怖かったんだね…。

 喜多條さんはね…。

 それでいいのかってね…。

と、微笑みながらコメントされました。幸せな世界を「多分いけない」「それでいいのか」と問い直す感覚は、おそらく、今の時代ではあまり理解されず、共感されないような気がします。でも、私は本当に感動しました。司会の風吹ジュンさん(1952年生まれ)も目を潤ませていました。たとえどんなに不安で、つらくて、泣き出したい気分でも、多少の無理は承知の上で小市民的(この言葉も久しぶりに使いましたが)な在り方を拒絶しようとしていた若い時の“こだわり”、小市民的だと言われることを最大の屈辱だと感じていた若い時の“こだわり”が蘇りました。そして、『神田川』が、新たな意味を付与されて、改めて私の青春ソングとなりました。

 自尊感情や自己肯定感などの言葉への私の違和感、それは、“自己肯定の論理”があまりにも簡単にまかり通ることへの違和感であったことに気づきました。あらゆる宗教的な悟りがそうであるように、本当の自己肯定とは、自己否定の中での真摯な苦悩と葛藤の先にこそたどり着けるものではないでしょうか。だから私は、これからも“自己否定の論理”にこだわっていきたいと思っています。若い頃にはすんなりと出ていた高音部がやや苦しくなってきましたが、多少の無理は承知の上で原曲のキーのままで、70年代フォークを歌いながら…。