所長だより019 「与謝野晶子のメッセージ」

2015年8月5日

 前回は、生徒指導の定義について、“人格・個性”と“社会的資質や行動力”が併記されていることが「両者の統合・調和の重要性」「一方に偏る考え方の危険性」を示しているのではないかと書きました。そして、キラキラネームを題材に、“私”への偏りの問題点を考えてみました。

 今回は、“公”への偏りの問題点を考えてみたいと思います。

 私の実家は大阪ですが、先日、堺市の「さかい利晶の杜(りしょうのもり)」に行ってみました。ここは、今年の3月にオープンした施設で、「利晶」の“利”は千利休の“利”、“晶”は与謝野晶子の“晶”を表しています。利休の屋敷跡は「さかい利晶の杜」のすぐ東側にあり、晶子の生家跡も「さかい利晶の杜」から徒歩10分ほどのところにあります。

 施設の一つである「与謝野晶子記念館」は、展示にさまざまな工夫がなされていて、前身の「与謝野晶子文芸館」も訪れたことはありましたが、与謝野晶子がこだわり見つめ続けていたものがより明確に、ひしひしと伝わってきました。

 私がかつて高校に勤務していた時の専門教科は社会科で、日本史の日露戦争の単元では、主戦論の「七博士意見書」等と並んで反戦論の代表的な資料として「君死にたまふことなかれ」が教科書や資料集に必ず載っていましたので、授業で幾度も説明してきましたが、久しぶりに、改めて、じっくりと読むことができました。

あゝおとうとよ、君を泣く

君死にたまふことなかれ

末に生まれし君なれば

親のなさけはまさりしも

親は刃をにぎらせて

人を殺せとをしへしや

人を殺して死ねよとて

二十四までをそだてしや

(以下略)

ご承知のように、与謝野晶子がこの詩を『明星』に発表したのは、1904(明治37)年、日露戦争のさなかでした。“公(戦争)”の犠牲になるかもしれない“私(家族)”のことを詠った詩ですね。

タッチパネルの「晶子のメッセージ」のコーナーでは、画面に出てくる与謝野晶子の言葉の中で、次の言葉がいちばん印象に残りました。

   国家が私たちを支配するのでなくて、私たちが国家を運用する。

後日、「与謝野晶子記念館」に展示内容を問い合わせたところ、以下の全文を教えてくださいました。

私は国家をもって、私たちの生活を、精神的にも、物質的にも、円満に発展させるための機関の一種だと考え、国家が私たちを支配するので無くて、私たちが国家を運用するのであると思っています。国家が私たちの政治の機関であるのは、道路が私たちの交通の機関であるのと同じです。国家も道路も公平で無ければなりません。しかるに国家が軍人とか資本家とかいう一部の階級の利己的要求にのみ聴いて、それらの階級の利福をより多く計ることになれば、それは私たちの望む一般の民衆の機関たる国家でなくて、軍人や資本家の少数階級に隷属した国家というものです。

≪与謝野晶子(1920)「私の要求する国家」『女人創造』≫

 昨今の日本の状況の中でこそ、晶子のメッセージの持つ普遍的な意味を再認識する重要性を私は感じています。