所長だより005 「教える・褒める・叱る」

2015年4月29日

 

 

「可愛くば、()つ教えて()褒め、()つ叱って良き人となせ」

 

これは、二宮尊徳の言葉で、カッコ内には、X+Y+Z=10となる数字が入ります。

 

「教える・褒める・叱る」は、言うまでもなく、いずれもが学校教育において重要な意味を持つ教師の働きかけです。私は、昨年、学部の共通科目「生徒指導論」の授業で、学生たちに、自身の教育観に基づいてカッコ内に数字を入れてもらいました。皆さんは、どのような数値を思い浮かべられたでしょうか。

 

事前に私は、集計・平均すると数値が高いのは、1褒める、2教える、3叱る の順ではないかと考えていました。学生たちの様子を見ていると、「児童生徒の自尊感情を高めるために、児童生徒の良いところを見出し、褒めてあげることがとても大事」「児童生徒の学力を高めるために、良い授業を行うことも大事」「叱ることも必要だが、叱ってばかりだと、児童生徒は萎縮することに注意すべき」というような考え方が比較的多いのではないかと思ったからです。

 

しかし、集計すると、順位は予想どおりだったものの、「教える 3.4」「褒める 4.0」「叱る 2.7」と、そんなに大きな差はありませんでした。また、X・Y・Zのどこかに「0」を記入した学生はいませんでしたが、「1」は、「教える17.2 %」「褒める4.6 %」「叱る13.8 %」という割合で見られ、褒めることについては軽視している学生は少ないことが伺えました。

 

一方、学校現場や教育委員会の方々は、「生徒指導のできる先生を育てて欲しい」というご要望に象徴されるように、「しっかりと叱ることのできる教師」を求めておられる印象があります。若い先生は「褒める」ことは比較的できているが、「叱る」ことが苦手な場合が少なくないと感じておられるのかもしれません。そういう意味では、生徒指導に関する授業の中で、「叱る」という教師の行為の意味を考察する講義や、「叱る」ことをテーマにした場面指導・ロールプレイ等の演習を開発していくことが、今後の私たちの課題であるようにも思います。

 

さて、元の二宮尊徳の言葉では

 

「可愛くば、五つ教えて三つ褒め、二つ叱って良き人となせ」

 

となっています。尊徳の思想の時代・状況はもちろん現在とは異なりますが、「教える」という行為を基本に据えている点について、私は、単なる「古い考え方」ではなく、「子どもの主体尊重」等の考え方に偏り過ぎたときの警鐘になるようにも思いました。

 

ただし、実際の教育現場では、このX・Y・Zの問いに「一般解」があるというわけではなく、向かい合う児童生徒一人一人に合った「特殊解」を考えていくことが必要でしょうし、X・Y・Zの数値は教職経験を重ね教師としての自分の強み・弱みを自覚していく中で変動していくものだろうと思います。

 

ちなみに、二宮尊徳について調べていて、

 

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。」

 

という言葉を見つけました。これも、所長だより002でご紹介した「不二」の知恵だと思いました。これを教育にあてはめて、

 

「共生なき学力は犯罪であり、学力なき共生は寝言である。」

 

と言い換えて考えてみるのもおもしろいかもしれませんね。