チョウとガについて





 「蛾の研究をしています」というと、よく「チョウと蛾はどう違うのですか?」という質問を受けます。一般には以下のような区別点があるといわれています。

チョウ
活動性 昼行性 夜行性
とまり方 翅を閉じてたてる   翅を開いて伏せる  
触角の形態 棍棒状 羽毛状
色彩 鮮やかで美しい 地味できたない
胴体 細い 太い



 しかし、このような区別点にはいずれも例外があります。例えば、昼行性のガも多いし、夜行性のチョウもいます。棍棒状の触角を持つガや翅をたててとまるガもいますし、アゲハチョウなどはしばしば翅を開いてとまります。美しくないチョウもいれば、美しいガもいますし、胴体の太いチョウも、胴体のほっそりしたガもいます。

 そもそも、チョウとガを区別しない言語も多いのです。日本語をはじめ、中国語や英語といった日本人に比較的なじみの深い言語では区別があるために、日本人はチョウとガの違いを殊更に意識しますが、例えば、ロシア語ではバーボチカ、スペイン語ではマリポーサということばがチョウを表し、ガの場合には「夜の」という形容詞をつけるのです。そこで、私の研究について、これらの言語圏の人に説明するのはちょっとした苦労が伴います。なぜなら、ロシア語やスペイン語で「昼行性のガ」と言おうとすると、「昼行性の夜のチョウ」という言い回しになってしまうからです。スペイン人の友人に「私は昼行性のmothについて研究している」と言ったら、「mothとは何か?」と聞かれ、説明するのに一苦労したこともあります。それで、面倒くさくなって「マリポーサについて研究している」と言うと、今度はチョウのことだと思われるのです。

 チョウとガの分類学的な位置づけは、ないわけではありません。つまり、チョウとガを全てひっくるめた鱗翅目の中で、日本語のチョウ、英語のbutterfly、中国語の蝶、イタリア語のfarfallaといったものは、アゲハチョウ上科、セセリチョウ上科、シャクガモドキ上科に含まれる種に相当し、それら以外の種が、ガ(moth、蛾、falena)なのです。

 しかし、こういった分類学的な知識がなくても、私たちはチョウとガをだいたい区別することができます。そして、それはチョウとガを区別する多くの言語圏でほぼ同じなのです。では、結局チョウとガの違いとは、何なのでしょうか? 私たちがチョウだと感じる種は、鱗翅類のなかでも昼行性にデザインされている種なのです。翅が色鮮やかだったり、触角が棍棒状だったりするのは、彼らが主に視覚によってコミュニケーションしていることに関連しているし、鳥のような昼行性の捕食者対策である場合もあります。他方、ガだと感じる種は、夜行性にデザインされていて、羽毛状に発達した触角でフェロモンを関知し、昼間は木の幹などに隠れるのに適した目立たない色をしていたり、コウモリのような夜行性の捕食者に対する防衛手段を発達させているものもあります。

 ところで、前に述べたように、チョウの中にも夜行性のものはいるし、昼行性のガも多いのですが、面白いことに、これらはそれぞれチョウとして、あるいはガとしての特徴を持ちつつ、夜行性や昼行性に適応しているのです。

 夜行性のチョウであるシャクガモドキという種類は、ずっとガだといわれてきました。しかし、卵、幼虫、蛹、成虫の外部形態が詳しく調べられた結果、このなかまはセセリチョウ上科とアゲハチョウ上科によく似ていることがわかり、チョウのなかまに加えられるようになったのです。私は実際にパナマでこのチョウを見る機会に恵まれましたが、どうみても外見的にはガで、他の多くの昆虫の研究者たちも、私がチョウだといってもなかなか信じてくれなかったほどです。

 他方、昼行性のガには、「チョウのように」綺麗なものも多いのです。私が長年調べてきたウスバツバメガが飛び回っているのを見て、「綺麗なチョウですね」と言う人が多いし、私自身、初めて中南米の昼行性のガであるカストニアを森の中でみつけたときには、捕まえてみるまではチョウの一種だと思ったほどです。私は、自分の研究室の机の上に、マダガスカル産の美しい昼行性のガであるニシキツバメガの標本を置いていて、部屋に入ってきた学生たちが、「え?これがガ?」と言って驚くのを楽しんでいます。「チョウは綺麗だが、ガは汚い」という固定観念を崩すのに、この標本はおおいに役だってくれているのです。







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