所長だより024 「初任校」

2015年9月9日

 生徒指導支援センターの研究員の竹口先生と私は同い年です。竹口先生はスクールカウンセラーになる前は中学校の教師を、私は大学の教員になる前は高校の教師をしていました。先日、お互いの若い頃の、先輩の先生方のことが話題になりました。

 私が新採教員として着任した高校は、教育や生徒に対する熱い想いを持つ中堅・ベテランの先生方がたくさんいらっしゃいました。私は、その存在感と熱気に、いつも圧倒されていました。飲みにいくと、よく、「阿形、お前は、なんで教師になったんや」と、直球で根源的な問いかけがとんできました。教職もあこがれの職業の一つではありましたが、確固たる信念・目的意識を持っていたわけではないので、私は適当な言葉でお茶を濁そうとしました。でも、「冗談はともかく、お前は、なんで教師になったんや」と問いかけは続きます。(今思えば、飲んだくれの中年に単にからまれていただけかもしれませんが…。)そして、そのあとに、「オレはなあ…」と、その先生の教育論が熱く展開されました。自分がちっぽけな存在に思え、こんな先生を教師モデルにしようと思いました。

 耳に痛いことをいってくれる存在は、とても大切でありがたい存在ですね。先輩の先生にこっぴどく叱られたことも一度や二度ではありませんでした。職員室で、気がおけない仲だった隣の席の若い同僚と「今日の昼休みは食堂で何を食べる?」と騒いでいたときは、ある先輩の先生から、「お前らは、職員室で、そんな話ばっかりしかできんのか!」と、大声で一喝されました。恐ろしさと気恥ずかしさで、自分の席でしばらく固まっていました。その先生は、決して堅物な方ではなく、ほどよい雑談・ユーモア・遊びにまで口を挟むわけではありませんでしたが、あのときは、きっと、「ほどほどにしろ」「大切な軸を見失うな」という思いで叱ってくださったのだと思います。(これも、今思えば、何かの仕事に集中しておられたので“お前ら邪魔するな”と激怒されただけかもしれませんが…。)

 30数年経った今も、あの頃の先輩教員の言葉・表情・その場の風景は、鮮明に頭に残っています。このような「中堅・ベテランの教師が若手の教師を育てる文化」が近年の学校現場では失われつつあるのではないか…、1956年1月生まれどうしの竹口先生と私は、同じようなことを感じています。

 教師にとって、初任校は、言わば「初恋の人」のような存在です。たとえ縁がなくなっても、いつまでも忘れられない存在です。新しく縁をもった相手と向かい合っていても、ときどき、思い出してつい比べてしまう存在です。私の初任校でも、稀に、「前の学校では…」という言い方(その裏には“それに比べてここの学校は…”という意味合いが込められています)をする先生がいらっしゃいました。「今、ここ」を引き受けようとしない言葉に、私はよい印象を持ちませんでした。だから、10数年お世話になった初任校を離れるときは、異動してもきっと、「初恋の人」を思い出すことがあるだろうけれど、感受性に一線を画して、「前の学校では…」という言葉は決して口にすまいと自分に言い聞かせました。

 ある日、古本屋で、某雑誌に連載されているエッセイを集めた『たのしい話いい話 1』という文庫本を買いました。その中に、「授業のあとの胴上げと歌」という話しがありました。高校3年の子どもさんを持つお母さんの投書を紹介するエッセイでした。その高校は、私の初任校でした。

 卒業が近づいたある日、お母さんは、荒れる中学生が卒業式に傍若無人な振る舞いをしたり先生に暴力を振るったりする事件をニュースで知り、子どもさんは高校生ですが少し心配になって、「あんたたち、卒業式の日、先生殴るようなことないの?」と聞きます。すると、子どもさんは、こんな話しをします。

きのうで授業終わりになったやろ、それで最後の授業が終わって“起立、礼”の時、だれからともなく机を教室のまわりに片付けて真ん中をあけた。そしたら中年のやさしい男の先生やけど、ちょっと緊張したみたい。何が起こるんかと思ったんやろうなあ…。

まさか先生を…、お母さんの投書は、こう続きます。

私も緊張してハラハラしながら聞いていました。息子たちは、「先生、最後です。胴上げさせてもらいます」。驚く先生が、1回、2回…と舞い上がり、感極まった女生徒が泣き出したそうです。

先生は、お返しに、「私が歌を歌います」と、“妻をめとらば才たけて…”と「人を恋ふる歌」を歌います。そして、

   その先生が大変喜んで職員室に戻ってこられ「いい子たちだ」と感激していたと、後で受け持ちの先生が話してくれたそうです。息子のクラスでは授業の終わるころからわからないようにメモが回ってきて、胴上げを決めたそうです。他のクラスでも最後の授業で先生と歌を歌ってお別れしたところもあったとか。私は話しを聞きながら涙がにじんで何も見えなくなりました。入学した時は、もっと上のランクの高校に…、と思った歴史の浅い学校ですが、うちの家庭に似つかわしい高校と思いました。

 私が着任したのは開校6年目のこと、このエピソードはその前の出来事ですが、本気の教師と本気の生徒が生み出すこんな文化は、私が在任中も、確かに息づいていました。

 「初恋の人」、その名前を“大阪府立藤井寺高校”と言います。