所長だより009 「苦悩と矜持」

2015年5月27日

 先日、私が以前に勤務していたA高校の同僚だったB先生のご退職をお祝いする会がありました。B先生は私がA高校から転出した後も、教諭・教頭・校長として、A高校の発展に尽力されました。私とB先生は、A高校で、普通科から総合学科への学科改編の節目に、共に新しい学校づくりに取り組んだ仲でした。

 20年以上前にA高校と縁のあった先生方から、現在のA高校の先生方まで、幅広い世代の方々が、B先生のご退職に寂しさを感じつつ心からお祝いしたいとの気持ちで集い、会場は多くの参加者で埋まりました。B先生のご人徳を改めて感じました。

 B先生は、柔和で篤実なお人柄で、近頃流行りの「言うことを聞かせる論理」を振りかざすタイプの管理職ではありませんでした。けれども、生徒を軸に考えるうえでこれだけは譲れないという点については、頑としてお考えを曲げることのない一徹さもお持ちで、だからこそ、先生方の人望を集められたのだと思います。と同時に、駄洒落、特に、すぐにはわからない「考え落ち」の駄洒落がお好きという茶目っ気もお持ちでした。

 参加者を代表しての何人かの先生のスピーチ、A高校でのB先生の歩みを振り返るスライド上映、B先生のご挨拶、そして、司会のC先生(新校長・前教頭)の閉会の言葉。C先生は、教頭時代にB先生からしばしば駄洒落攻撃の洗礼を受けたことを懐かしみ、やはり最後はB先生の駄洒落で締めくくっていただきたい…と、再度、B先生にマイクを渡されました。

3月31日に退職辞令をいただきました。でも、この日が終わるまでは、まだ校長であり、何かことが起こったらすぐに対応しなければいけないという緊張感が解けませんでした。けれども、12時をまわった瞬間に、肩の上から、スーッと、荷が下りたような気持ちになりました。そして、“に”が下りたら“さん”が来ました。毎日がサンデーのような気持ちです。

「2が下りたら3が来た」と「荷が下りたらsunが来た」の洒落。一瞬の静寂の後、歓声と拍手、そして、何人かの先生は、目頭を拭っておられました。私も、久しぶりにB先生の人間愛・ウィット・ユーモアに触れ、心が熱くなりました。

 どんな状況でも決して「遊び心」を忘れることのなかったB先生ですが、ご挨拶では、この日に至るまでの道程で何度か直面した苦悩についても、あるがままに語られました。

電車が学校の最寄りの駅に着きましたが、どうしても降りることができなかったこともありました。でも、次の駅に電車が止まったとき、「ここで降りなければ、もう自分は二度と、学校に行けなくなる」と思い、何とか気持ちを奮い立たせて下車し、反対側のホームに移り、再び電車に乗ったこともありました。

私は初めて聞くエピソードでした。ある時期、多少なりとも苦労を分かち合った仲でもあり、当時のB先生の苦悩が痛いほど伝わってきました。と同時に、そんな真摯な苦悩があればこそ、駄洒落もまた温かく深い“味”を醸し出したに違いないとも思いました。

 本学を卒業して小学校に勤務している若い先生と話していて、仕事の大変さなどの話題になったときに、彼は、

(学校に)行きたくないと思ったことはある。

でも(教師を)辞めたいと思ったことはない。

と言いました。リアリティのある名言だと思いました。

 教育とは本当に難しい営みです。であるならば、私たち教師の心を震わせるのは、順風満帆で自信に満ち溢れた言葉などではなく、真摯な苦悩を経た上での力みのない矜持の言葉なのではないでしょうか。