6月17日 意見交換会時に発表された内容を公開いたします。

また、その際実施されたアンケートの結果はこちらをクリックしてください。


T氏(小学校教員)の意見

●香川県高松市では、昭和30年の紫雲丸沈没事件の教訓から、市内の学校にプールが設置され「命を守る水泳学習」が重視されはじめたという歴史がある。実際、昭和40年代半ばに小学校に入学した私の記憶では、プール開きの前には全校生が講堂に集まり、水泳学習の心構えについて、紫雲丸沈没事件と合わせて毎年聞かされていた記憶がある。しかし残念ながら、現在の水泳指導では、「競泳的指導」がメインとなり、「命を守る水泳」という意識はかなり希薄なってしまっている。
● 現在は流行りで着衣泳を行っているような状況でメインは競泳,という意識が根強い。
● 今まで放課後の水泳指導は大会等の選手だけがしていたが,水泳の苦手な子どもたちも一緒に練習する場を設けた。しかし,保護者や苦手な子どもたちの発想は「水泳の選手になるつもりはない。」というのが多く、理解を得るまでに時間がかかった。
● 今後は着衣泳を安全教育と受け止め,総合学習として工夫して取り組みたいと考えている。(イメージを一新)

O氏(小学校教員)の意見

●12年前に勤務していた小学校での出来事。1年生の児童が下校時に海に落ちたが,ランドセルは浮具になるという指導を受けていたため,とっさにそれを思い出しそのまま浮いているところを助けられた。知識があったために助かった例であるが,子供たちに情報を与えることは重要である。
●特に,徳島は海に囲まれているので,安全に関する知識は重要だと思う。しかし,今の子どもたちを取り囲む状況に即した安全教育が行われていないのが現状である。例えば関東では,関東大震災を教訓に,防災教育が定着しているらしい。
●着衣泳を誰が指導するのか(勤務校では6年生に指導しているが,他学年は全く知らない状態である。),またどういう位置付けで行うのか検討されなければならない。

H氏(小学校教員)の意見

●数年前から自分の持つ体育の授業で行ってきた。それは着衣泳に関する情報があるからで,情報がない人は行えない。しかし,ここで着衣泳の位置付けを考え(例えば総合学習),子供たち全てが学習できる環境を持てるようにするべきである。
●泳ぎ方を身につけて,伸びていくのはとても嬉しいし満足感が得られる。また,着衣泳を体育の授業でするのは難しい。そこで,本当に大切なら,総合的学習での位置付けの方が定着しやすいのでは?他の先生方も違和感なく取り組めるはずだ。
●また,郷土の環境をもっと考慮した授業はできないものかと考えてい   る。例えば,授業の行われるプールは真水であるが,徳島特に鳴門は海とは切っても切れない縁があるので海での指導が総合学習等でできないものだろうか。
●子供たちはプールでの水泳の授業では,教師の話が聞こえない程やかましい。しかし,事故等のとっさの時や何か改まった時などは声が出ない。そういう子どもの実態を把握して指導に当たるべきである。→@大声を実際に出す練習を日頃からしておく。A実際の事故(例えば海に転落)の状況をそっくりそのまま再現することは無理だが,それに相当するのが,数をこなすということである。普段から慣れさせて,いざという時に「大丈夫!」という良いイメージが頭に浮かんでくるようにしておきたいものだ。


水の事故死原因の内訳は?
  →・溺死:水を飲んで死亡マ水を飲んだ時にどうするかということも教えないといけなくなる。

       マ慌てないようにマ慌てないうにするにはどうしたら良いか,という指導になってくる。
   ・水死:心臓マヒを含めた,溺死以外の原因で死亡。また,それが原因でも1日たてば水死ではなくなる。

       マもし水死の場合に自分が泳げないのだから,助ける側の能力(引き上げる・人工呼吸等)が問われる。
   ・救助法:他人を助ける
        自分を助ける(自己保全)マ着衣泳は自己保全するという考え方が中心。
          

(以上 南先生)



M氏(小学校教員)
●6年程前から,いざという時のために行っている。毎年同じことのくり返しにならぬよう気を付けている。ビデオにもあったが,子どもたちに自分で試してみるように指導している。学年ごとの計画に従い,まず体験をする。そして体験の後生命を大切にするんだぞという指導につなげている。
●指導をする中で生じた疑問:子供たちから同じような質問が出た場合に一律に明確な答えを出してもいいのだろうか。子どもたちは答えを知りたがるが,「この泳ぎ方が着衣泳に適している」と言わなくても良いのか?「自分に合った体力を消耗しない泳ぎで良い」という答えで良いのか?どの泳ぎが適しているのか時と場合によるのだろうか?



→ 答えはその都度おかれた状況によって変わるはずである。何が正解かはその時考える。なぜなら,今正解でも別の状況では不正解ということがある。例えば,靴を脱ぐか脱がないかひとつをとってみても場合による。水温・周りの様子・自分の体力あるいは片足がつっている状態だとか,そういういろんな状況が考えられる。
  今の状況だったらこうすれば助かるということを判断すること自体が着衣泳の能力である。判断するための材料(ケース)を数多く体験させるのが,着衣泳または水泳の授業である。万がいつの時,自分が主体的に(人にどうこう言われたからじゃなくて)これだったら安全を確保できると考えることができる能力を身につけることがある意味での着衣泳の目的である。
  つまり,動機づけだとか,Aと言ったからBだというような単純な考えではなくなる。いかに子どもを導くかが実は難しい。子どもにできるだけ沢山の材料を提供して,その時々で自分で判断させようとする考え方である。    

(以上 松井先生)


H氏(中学校教員)

●着衣泳のことは2年前に子どもの通うスイミングスクールで知った。情報不足であった。日本はどうしても誰かのせいにしてしまうことが多いので,自分で自分の身を守るということを子どもに意識づけてやることが大切であると感じた。
●中学校の現状:中1から中3へと進むに従い見学者がどっと増える。(見学者の管理に追われ,プールでは自由に泳ぐだけという本末転倒のような状況が見られる。)また,1人の教師が40人を管理しないといけない状況や,プールの施設の悪さおよび管理のしにくさ等も重なり,水泳の授業はやりにくい。

R氏(留学生)

●メキシコの小学校にはプールはない。水泳はスイミングスクールで習う。しかし安全水泳(着衣泳)の考え方は非常に大切なことである。ぜひ実行したい。

S氏(水泳協会関係者)
●水は子どもの遊び(生活)の中に必ず入ってくる。例えば水たまりがあると子どもは避けて通らずに中をバシャバシャと歩く。しかしどうも日本は「危ない!泳ぐな!」の考え方が占めている。
●着衣泳は体育の授業の中では難しいが,自分の生命を守るということから必要である。また,段階的にどうしたら良いかはビデオでわかった。
● 着衣泳の指導ビデオを見て感じることは,対象が小学校5〜6年生で「泳げる子」であるということである。水の苦手な子どもや泳げない子ども,そして小さい子どもを対象とした指導用ビデオはないものだろうか。そういう未知の世界にも取り組んでほしい。


Y氏(大学院生)

●安全教育として水泳を行うことは大変重要であり,子どもたちに身の危険を体感させる(こういう時はこうする,あるいはこういう時は体がこうなっているということを知る等)ことは必要である。しかし,身体に障害を持つ子どもたちの中には,危険な状態に置かれてもそれを感じることができない子どももいる。着衣泳そのものがパニックの状態になってしまうことがある。
●自分のこととして考えられること。つまり,自分を助けるというこを身につけることができる子が,自分を助けることができる。また着衣泳をすることができる。もし障害児だったら変わってくる。

K氏(中学校教員)
●以前,中学校で実際に子どもが水の事故で生命を落としてから,実態に即した安全教育が必要だと痛切に感じていた。最近では,実際に着衣泳を実施する学校も増えてきたが,外部から指導者を招いて行うことが多いと聞いている。安全教育,こと生命に関する勉強は1度や2度特設した時間の中で効果が得られるわけではない。常々子どもたちと一緒にいる大人(担任や周りの教師など)が行うのが最も効果があるように思われる。やはり何気ない普段の語りやタイムリーな話題の中にこそ,子どもたちの心に残る大切なことが織り混ざっている。プールでの活動は,そういう身近な大人(教師)と行う時の効果が大きいらしい。
●しかし,着衣泳の指導について詳しく知らない自分も含めた現場の先生が多いのも現状である。そこで,まず先生たち自らが体験するのが大切だと考えた。


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