教育実践研究のための一事例研究法

 この講座では、教育実践を行いながら研究を進めるための1つの方法として、『一事例研究法』を考えます。学校で実践的かつ実験的な研究をしようとしても、たとえば、クラスの中に実験群と統制群を設定することは倫理的に難しいとか、統計処理のために十分な数の被験者を集めることが難しいといった制限があります。一事例研究法はこうした問題を解決する実験計画法です。応用行動分析学の発展とともに様々な方法が開発されてきました。詳しくは、文献を参照していただくことにして、ここでは一事例研究法についてよくある質問や疑問、誤解について解説します。


一事例研究法とは、ケーススタディのことですか?

一事例研究法は、これまで他に、「シングルケースデザイン」、「単一被験体法」、「n=1の実験計画」、あるいは「被験者内比較法」など、さまざまな呼び方で紹介されてきました。このせいで、混乱や誤解も生じているようです。ここで『一事例研究法』と呼んでいるのは、少数の被験者のデータからでも、独立変数と従属変数の因果関係を検証することのできる実験計画法のことです。一般に「ケーススタディ」と言うと、変数間の因果関係の検討までは行わない、「〜したら〜なった」という形態の報告が多いようですから、区別が必要です。

独立変数と従属変数の因果関係というのが、よくわかりません。

子どもの積極的な態度を育てる教師の発問についての研究を例に考えてみましょう。授業中の教師の発問や誉め言葉、子どもからの質問、提案などを観察・記録して、両者の関係を検討することにします。『従属変数』とは『独立変数』の影響を受ける変数のことですから、この場合、子どもの発言が従属変数、教師の発言が独立変数になります。ところで、変数の関係には、大きく分けて2種類あります。1つは『相関関係』で、これが確認されると、「子どもの積極的な質問を誉める教師のクラスほど、子どもの積極的な発言が多い傾向がある」といった結論が導かれます。しかし、これだけでは『因果関係』、すなわち「子どもの積極的な発言を誉めれば、そうした発言が増える」とは言えません。もしかしたら、最初から積極的な子どもが多いと、教師の誉め言葉が多くなるかもしれないからです。『相関関係』を知りたいだけなら、何人かの教師の担当するいくつかのクラスの授業を観察すればよいのですが、『因果関係』まで結論するためには、そのための実験が必要になります。一事例研究法は『因果関係』を検証するための実験計画法なのです。

『一事例研究法』というのだから、対象となる子どもやクライアントの数は1人ではないのですか? 「n=1」というのも聞いたことがあります。

ちょっとした誤解ですね。確かに、一般的な心理学では、群間比較という実験計画法を使うことが多く、このためにはかなりの数の被験者が必要です。これに対し、『一事例研究法』では、確かに被験者の数は、最低1人でもokです。でも、一人でなければならないというわけではありません。群間比較法との大きな違いは、いくつかの独立変数を同じ被験者に適用して、従属変数への影響を検討する点です。群間比較法を『被験者間比較』、一事例研究法を『被験者内比較』ととらえれば、より正確に理解できると思います。たとえば、先の例で考えれば、いくつかのクラスでは教師が子どもの積極的な発言を誉め(実験群)、いくつかのクラスでは積極的であるなしにかかわらず誉めることにして(統制群)、他の条件はなるべく同じにして授業をします。そして、両群の子どもたちの積極的な発言の頻度を比べます。これが群間比較。ところがこうすると、もしかしたらクラス間で不平等が生じるかもしれません。それに、他の条件をできるだけ同じにするのも難しそうです。そこで、1つのクラスを対象に、同じ教師が、最初は発言内容にかかわず誉めます(統制条件ですが、一事例研究法では「ベースライン」と呼びます)、このときの子どもの発言を記録します。そして教師が積極的な発言を誉めるようになったとき(実験条件ですが、一事例研究法では「介入期」と呼びます)、子どもの発言がどう変化するかを検討します。この方法だと、被験者数(n)はクラスの子どもの数だけになりますが、これも一事例研究法なのです。

ということは、事前・事後のデータを比較するということですか?

事前事後のデータの比較は、最も単純な一事例研究法です。ベースライン期をA、介入期をBとして、AB法とも呼ばれます。しかし、残念ながら、これだけでは因果関係は検証できません。たとえ、ABで子どもの行動が変わったとしても、それは教師の誉め言葉以外の他の要因によるものかもしれないからです。たとえば、季節の変化とか、他の授業で何か学んだとか(これを外部要因と言います)。因果関係まで示すためには、反転法(ABA法)とか多層ベースライン法といった実験計画を使わなくてはなりません。それから、事前・事後テストというと、介入の直前、直後に一回ずつテストをするという印象があると思いますが、一事例研究法では、通常、ベースラインも介入期も複数回、観察記録を行います。これも外部要因の影響をできるだけ排除するための工夫です。

反転法について教えて下さい。

反転法(ABA法)では、介入期に導入した手続を中止して、元のベースライン期と同じ条件に戻します。これで、行動もベースライン期と同じレベルに戻れば、最初の行動の変化は外部要因によってではなく、介入手続によって生じた可能性が高くなります。これが条件の反転です。条件の反転を繰り返せば、それだけ因果関係を強力に示すことになるので、場合によっては、もう一度介入手続を導入し、反転させるABAB法なども使われます。反転法はシンプルでわかりやすい方法ですが限界もあります。行動によっては介入手続を中止しても元に戻らないことがあること (たとえば、テニスのコーチングなど、スキルを習得させる手続)、行動を元に戻すことが倫理的に許されない場合があること(たとえば、自傷行動を減らす手続)などです。こうした問題を解決するために考案されたのが、多層ベースライン法です。

多層ベースライン法について教えて下さい。

多層ベースライン法では、複数の行動に対して、時期をずらして介入手続を導入します。たとえば、テニスの生徒が3人いて、バックハンドを教える新しい手続を試すことにします。3人のバックハンドのベースライン(これまでの教え方)を測定し、新しい手続を導入するのですが、この時期を3人でずらしてやります。

こうすることでレッスンを受けた期間とか、新しい手続が始まったときに偶然起こった外的な要因などの可能性を排除できます。多層ベースライン法は、他にも、1人の被験者の複数の行動を対象にしたり(たとえば、新しいコーチングの手続を、最初はバックハンド、次はボレー、その次はサーブのように導入していく)、複数の状況や場面を対象にしたりできます(たとえば、最初はコーチから一球ずつ出されるボールを打つ、次は1対1の打ち合いの場面で打つ、次は試合形式で打つなど)。

その他の方法について教えて下さい。

基本的な方法としては、条件交替法や基準変化法などがあります。また、複数の方法の組み合わせ(たとえば、多層ベースラインと反転法の組み合わせ)なども用いられています。詳しくは、日本語も解説書も出版されておりますので、そちらをご覧下さい。

一事例研究法を詳しく学べる図書を紹介して下さい。

次の図書を参考にして下さい。

  • 『シングルケース研究法』(1990)岩本隆茂・川俣甲子夫 勁草書房
  • 『一事例の実験デザイン ケーススタディの基本と応用』(1993)D.H.バーロー・M.ハーセン著 高木俊一郎・佐久間徹監訳 二瓶社
  • 『行動分析学入門』(1998)杉山尚子・島宗理・佐藤方哉・リチャード,W.,マロット・マリア,E.,マロット 産業図書