所長だより052 「卒業」

2016年3月23日

 先週3月18日に、本学の卒業式(学位記授与式)が行われました。学校の卒業式のシーズンも終わり、あと少しすると、新年度を迎えることになります。

 「卒業と言えば…」という問いから何を連想するかは、人それぞれだと思います。特に、「卒業ソングと言えば…」という問いからは、顕著に世代による違いが表れるでしょうね。最近の小中学校では『旅立ちの日に』(1991年)がよく歌われるようですが、私が子どもだった頃にはもちろんなかった歌ですし、高校ではあまり歌われることがないので、高校教員だった私は『旅立ちの日に』のメロディーや歌詞をあまりよく知りません。

 私が高校教員として経験した(生徒たちが歌うのを聞いた)卒業ソングには、『心の旅』(チューリップ:1973年)、『卒業写真』(荒井由実:1975年)、『贈る言葉』(海援隊:1979年)、『春なのに』(柏原芳恵:1983年)、『空も飛べるはず』(スピッツ:1994年)、『TOMORROW』(岡本真夜:1995年)、『Best Friend』(Kiroro2001年)などがあります。

 私より10数歳年下の方々にとっては、何といっても、尾崎豊の『卒業』(1985年)なのかもしれません。

   卒業して いったい何解ると言うのか

   思い出のほかに 何が残るというのか

   人は誰も縛られた かよわき羊ならば

   先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか

   俺達の怒り どこへ向かうべきなのか

   これからは 何が俺を縛りつけるのだろうか

   あと何度自分自身 卒業すれば

   本当の自分に たどりつけるだろう

尾崎豊が流行った時代には、すでに私は「青春」と呼ばれる時代を「卒業」していたので、私は尾崎豊の歌に特別な思い入れがあったわけではありませんが、もしも私があと10数歳若かったら、尾崎豊の世界に惹かれていたかもしれないと思います。そう言えば、尾崎世代の同僚が、前任校で卒業式の放送の係になり、卒業していく生徒たちにどうしても聞かせたいと考えて、予行でも使わなかった尾崎豊の『卒業』を式本番で流し、管理職から大目玉を食らったと話していたことを思い出しました。私は、教師を務めている者が(たとえ生徒のときにどんなに共感を覚えたとしても)生徒にこの歌を提示するのは「自己矛盾」「自己欺瞞」ではないのかという思いと、「なかなかやるなあ…」という思いの、アンビバレントな気持ちで彼のその話を聞いたことをよく覚えています。

 私にとって忘れられない卒業ソングの一つは、19(ジューク)の『卒業の歌、友達の歌』(1999年)です。ただし、この曲は、卒業式で歌われたのではなく、私がフォークソング部の顧問をしていた時に、部員と一緒によく歌った曲でした。

   「終わる事」を僕らが意識し始めた時 急に時間は形を変えた

   「退屈だ。」と叫んでいた「なんでもない毎日」が 今では宝物です

   裏切りや嘘も だけど だけど信じていたよ

   校舎の影で待っている時間はもう戻ってこないけれど

   いつも思い出はそこにいて 今でも待っている

今でも、ときどき、部員たちのことを思い出し、ギターを弾きながら歌うことがあります。

 そして、何と言っても、いちばんの思い出の卒業ソングは、後に結婚式の定番ソングになっていった、長渕剛の『乾杯』(1980年)です。私は、自分自身の卒業式では一度も泣いたことなどありませんでした。けれども、教師として初めて経験する「教え子との別れの儀式」では、どうしても涙が止まりませんでした。その卒業式で、生徒たちが退場する際に流れたのが『乾杯』でした。初めて聞く曲でしたが、放送部の生徒に教えてもらい、長渕剛の曲だと知りました。それから、今に至るまで、この曲もときどきギターを弾いて歌っています。この春に卒業していく学部のゼミ生へのビデオレターでも『乾杯』を歌いました。

 卒業ソングではありませんが、私たちの世代では、「卒業と言えば…」というと、1968年に日本で公開されたアメリカの映画『卒業』を思い出す者も少なくありません。主役のベンジャミンは、のちに1979年のアカデミー賞作品賞を受賞した『クレイマー、クレイマー』の主演を務めたダスティン・ホフマンが演じています。ベンジャミンに初のデートでわざと冷たくされうつむきながら涙を流すエレーン(キャサリン・ロス)の美しさ…、エレーンの結婚式が行われている教会に駆けつけたベンジャミンのガラス越しの「エレーン、エレーン」という叫び声…、そして、エレーンを「略奪」し二人でバスに乗り込み最後尾の座席に座ったときの二人の一瞬の微笑み…、さらには、背後に流れる、サイモンとガーファンクルの“サウンド・オブ・サイレンス”“ミセス・ロビンソン”“4月になれば彼女は”“スカボロー・フェア”などの名曲の数々…。私たち世代のほとんどの者が細部まで鮮明に覚えている青春映画です。

私は、どちらかと言うと“ビートルズ”より“サイモンとガーファンクル”に大きな衝撃を受け、ギターで必死にコピーを試みたものでした。当時は今のような楽譜・タブ譜・コード譜などはほとんど販売されていなかったので、レコードを耳で聞きながら、コードや弦の押さえ方をあれこれと想像しながら演奏したものでした。教員になって、教育相談の係になったとき、「教育相談だより」のタイトルに選んだのは、“Bridge over Troubled Water”でした。サイモンとガーファンクルの代表曲(日本での曲名は“明日に架ける橋”)からとったネーミングでした。

 映画『卒業』の最後の場面、バスに乗るベンジャミンとウェディングドレスのままのエレーン、二人は、一瞬、微笑みを浮かべますが、すぐに、思いつめたような表情に戻ります。そして、“サウンド・オブ・サイレンス”が流れ、映画は終わります。“The Sound of Silence”、沈黙の音、意味深な言葉ですね。ある詩人は、「沈黙が豊かな時間と感じられるようになったとき、二人の関係は本物である」と述べています。ギターで、Aadd9のコードで1~3弦のアルペジオで“サウンド・オブ・サイレンス”のイントロを弾くだけで、精神は一気に青春のあの頃に戻ります。ベンジャミンとエレーン、二人はこれから、どこに向かうのか…、どうやって暮らしていくのか…。ぼくたちは、『卒業』のエンディング・シーンを、若い二人のこれから先の苦難の道のりを暗示するものとして見つめつつ、どんな苦難が待ち受けていようとも、「安定」など約束されていなくても、「無謀」と言われようとも、とにかく一歩踏み出すことを選んだ二人を、自分たちの“将来に対する唯ぼんやりとした不安(芥川龍之介)”を重ねあわせながら、心から応援したものでした。

そう言えば、1971年に日本で公開された、私たち世代のもう一つの青春映画、11歳の恋愛物語を描いた『小さな恋のメロディー』のラスト・シーンは、マーク・レスター演じるダニエルと、トレイシー・ハイドが演じるメロディーが、二人でトロッコに乗って町を離れていく場面でした。ここでも、私たちは、二人の前途に待ち受けているであろう苦難を予感しつつ、一緒に一歩踏み出すしかないという決断をした二人を、心から応援したものでした。

 私は、「確固たる自尊感情を抱き、明確なライフプランを持って、大人になっていく」というような若者像には、リアリティを感じません。それは、私たち世代が古いからではなく、きっと、今の時代の子どもたち、若者たちも、実は誰もが、「自分自身の扱い方」「自分自身との付き合い方」に苦しみながら、「進路」「将来」への不安や葛藤を抱きつつ、何らかのかたちでとにかく一歩進んでみるしかないと考えているのではないかと思っているからです。

 私が初めて四国の地を訪れたのは、大学1年の夏休みでした。志望大学に合格したものの、最大で唯一の「大学合格」という目的を達成してしまった後、自分は次に何を目的にしていけばいいのかを見いだせず、自分の将来の方向性を探しあぐねていた私は、それまでの自分から「卒業」する儀式が必要だと考えました。そして、一度も経験したことなどなかったサイクリングで、自分の足の力で一定の距離を走りぬくことで、何かを得たいと考えました。けれども、一人では心細いので、高校時代の親友のHくんとIくんに声をかけました。私の気持ちを察したHくんとIくんは、快く同行を了解してくれました。そして、ぼくたち3人は、大阪からフェリーで徳島に渡り、そこからテントで3泊しながら、高知まで走りぬき、高知からフェリーで大阪に帰ってきたのでした。途中で、国道55号線を離れ、椿泊のほうへ寄ったことも覚えています。(まさか、その40年後に、大学教員として椿地区の小中連携の取組に関与することになるなんて夢にも思いませんでした。)道中では、Hくんが先頭、Iくんがその後に続き、私は最後尾を走りました。牟岐あたりから室戸岬までの海岸沿いの道では、私は最後尾でずっと、『岬めぐり』(山本コウタローとウィークエンド:1974年)を口ずさんでいました。

   岬めぐりの バスは走る

   僕はどうして 生きてゆこう

   悲しみ深く 胸に沈めたら

   この旅終えて 街に帰ろう

『岬めぐり』は失恋の痛手を癒す旅の歌ですが、私は、“僕はどうして 生きてゆこう”などの歌詞に自分の気持ちを重ね合わせて、(HくんとIくんは気づいていなかったと思いますが)ときどき涙ぐみながら、この歌をずっと口ずさみ、ペダルを踏み続けました。当時の私の内面は、「こんな自分に用意されている“未来”なんて本当にあるのだろうか」という不安で一杯でした。と同時に、『卒業』『小さな恋のメロディー』のラスト・シーンのように、(私にはエレーンもメロディーもいませんでしたが、たとえ一人でも)とにかく進むしかないという気持ちでした。

 「卒業」という、縁のあった他者との“別れ”と新しいステージへの“旅立ち”を意味する言葉は、教育に携わる者にとっては、特に、感慨深い言葉だと思います。そして、教育における教師-生徒関係の本質を象徴的に表している言葉であるようにも思います。私は、平成222010)年度に大阪府立布施高等学校の校長に着任した際に、ホームページに、「別れるために深く出会う」という挨拶文を書きました。

    ~別れるために、深く出会う

   高校生活のゴールは「卒業」、すなわち、「恩師との別れ」であり「朋友との別れ」です。そうであるなら、三年間の高校生活とは、いずれ別れていくためにこそ、師と友との深い関係を築いていく時代であるとも言えます。

「別れ」と言っても、それは「関係の切断」ではなく、師や友との関係を大切な宝物として心の中に抱いて、おとなになっていくこと、社会に参画していくことです。

「依存」と「自立」は、一般的には対立する概念のように考えられがちです。しかし、たとえば幼児期の子どもは、親の目の届く範囲に居るという安心感(依存)があるからこそ、探検・冒険・遊びなどの行動(自立)をとれるものです。このような、「安心感のある依存が自立を可能にする」というテーマは、質は変わっても、人間の一生のどの時期においてもあてはまるものだと思います。

「充実した学習活動」「充実した学校行事」「充実した部活動」、これが本校の特色です。

布施高校での学校生活を通じて、生徒たちが「自分は見守られている」「自分は役に立っている」という人間信頼の心組みを内面に確立し、そのイメージを「安心基盤」にして、「自主・自律の精神」で世のため人のために活躍していって欲しいと私たちは願っています。

「別れるために深く出会う」という言葉は、平成4~5年度に、鳴門教育大学大学院の生徒指導コースの院生として、教育相談や臨床心理を学んだ中で思い浮かんだ言葉です。カウンセリングの“ゴール”とは「終結」、つまり、クライエントが自らの問題を何らかの意味で解決し(あるいは受け入れ)、カウンセラーから、あるいは相談室から「卒業」することです。そこからの連想で、私は、教師と生徒の関係においても、「卒業」という“別れ”をめざすために深い関係を築くという観点が重要であると考えています。そういう意味では、教師-生徒関係には、関係を継続し深めていく恋愛関係・家族関係などにおける関係性とは異なる質の“かかわり”が求められるのではないかと考えています。「卒業」(≒自立)の意味を中心に据えた教師論・生徒指導論を整理していくことが、私の今の関心事です。

 ということで、この「所長だより」は、次回をもって「卒業」させていただきます。来年度は、私は、本学のいじめ防止支援機構の機構長として、BP(いじめ防止支援)プロジェクトの企画・運営に携わることになりました。そして、生徒指導支援センターの新所長には、臨床心理士養成コースの葛西真記子先生をお迎えすることになりました。もちろん私も、生徒指導支援センターのスタッフの一人として引き続き生徒指導に係る学校支援に取り組んでいきます。そして、「所長だより」に代わって、来年度は、「いじめ」をテーマにした、初の単著本の出版に向けて文章を綴っていきたいと考えています。本当に書けるだろうかという不安がないわけではありませんが、“宣言”することで、あえて自分にプレッシャーをかけてみました。頑張ります。