所長だより049 「定年」

2016年3月2日

 今年の1月に還暦を迎えました。大学の教員となって5年目、大学の定年は65歳なので、あと5年残されていますが、高校教員を続けていたなら、この3月末をもって定年退職を迎えるはずでした。近年は、同世代の元同僚や教職に就いていた知人から、退職や再就職の挨拶のはがきが届くことも多くなりました。それを見るたびに、何だか、「もう、君たち世代の時代は終わったんだ」と言われているような、複雑な気持ちになります。若い時に保守的な大人に反発して口ずさんでいた、吉田拓郎の「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」(1970年『イメージの詩』)という言葉が、自分自身に突きつけられます。と同時に、まだまだ、若造に負けてたまるものかという意地と闘志が湧き起こってきます。

 所長だより007で、「人を平均に還元しない」ということを書いたように、一言で「私たちの世代」と言っても、その中には当然のことながら、さまざまなパーソナリティの、いろいろなポリシーを持つ人たちがいます。しかし、その一方で、やはり、同じ世代同士として共有する感覚があるのも事実です。共有する感覚、その一つに、フォークソング文化があります。

 曲がりなりにも「研究者」「学識経験者」などと呼ばれる立場になった今、本当はこんなことを言ってはダメなんでしょうが、最近、私は、自分が学術的なロジックやロゴスにさほど信を置いていないことに気がつきました。誤解の内容に付け加えますが、私は決して、科学的・実証的で精緻な研究に取り組まれる方々を軽んじているわけではありません。あくまで、私自身の在り様の問題として、自分にはそんな能力はないし、それなら、いっそのこと学術的であることに囚われずに、私なりの奔放な発信の仕方でいこうという、ある意味での開き直りだとも言えます。たとえ、「それは学問ではなく“エッセイ”“アジテーション”だ」と言われても、それならそれでいいじゃないかとも思っています。だから、私はこれからも、「フォークソング文化」に依拠したメッセージを大切にしていきたいと考えています。

たとえば、最近の講義や講演では、中島みゆきさんの

ひとりきり泣けても ひとりきり笑うことはできない(1990年『WITH』)

という言葉を何度か紹介しました。紹介して、改めて、端的でストレートに心に届く、言霊のこもった言葉の力を感じました。

また、先日もこんなことがありました。ある高校で、「部落問題と人権」というテーマで講演を行いました。最近は、部落問題学習をほとんど行っていない生徒もいるので、部落問題とは何かということも含めて話してほしいとのご依頼でした。しかし、私なりに丁寧に準備して講演に臨んだものの、最初の10分ほどで、「知的理解」に偏った話が“すべっている”、生徒が“引いている”のを感じ、これではダメだと、急遽、話の展開を、私の経験を踏まえた内容にチェンジしました。そして、最後は、

生まれた所や 皮膚や目の色で 一体この僕の 何が分かると言うのだろう

という歌詞で有名な、THE BLUE HEARTSの『青空』(1989年)を、講演の担当者の先生と一緒に歌って締めくくりました。私たちの世代は、部落問題をテーマにした歌といえば、岡林信康の『手紙』『チューリップのアップリケ』などを思い浮かべますが、30代半ばに聴いた『青空』も心に残る曲の一つです。生徒の皆さんは、最後の歌にいちばん反応してくれていたように思いました。そして、これに味を占めたというわけでもないのですが、その3日後の、教職大学院の「人権教育・道徳教育の実践と課題」の最終回の授業も、THE BLUE HEARTSの『青空』をモチーフにした小説を教材にして、最後に『青空』を歌うことで締めくくりました。「単に歌いたいだけじゃないのか」というご批判(それは当たってなくもないですが…)も覚悟していましたが、院生の皆さんは、それなりに好意的に受けとめてくださり、嬉しく思いました。

 5年後の定年、私には夢があります。一般的には記念の“最終講義”で締めくくることが多いですが、私は、できれば“最終講義”ではなく、アコースティックギターを手にして、最初で最後の“ラストコンサート”で鳴門を去りたいと考えています。と言っても、大した歌唱力もないので、MC(≒ミニ講義)も交えながら、自分なりに考えてきた教育の難しさと素晴しさをお伝えできれば…というアイデアです。すでに、「オープニングは拓郎のあの曲で…」「20歳の時に自分で弾き語りで録音した『20歳のめぐり逢い』(シグナル)を流して、65歳の自分とのデュオを…」「最後は、ザ・フォーク・クルセダーズのあの曲かなあ…」などと、夢想を楽しんでいます。もし実現したら、是非、会場にお運びください。