所長だより020 「中学校生徒会議」

2015年8月12日

 先日、徳島市役所で、徳島市と名東郡の中学校の代表生徒が集まって、携帯電話やスマホについて話し合う中学校生徒会議が行われ、私も、助言者として参加しました。

 会議の目的は、以下のように定められていました。

   中学生が携帯電話やスマートフォンを使ったトラブルや事件等に巻き込まれたり、いじめに利用したりしない使い方等を話し合います。そして、その結果を学校等で啓発することにより、生徒自身が情報機器を有効に使うために、自ら考え、責任をもった行動がとれるよう自覚を促します。

 会議は、参加者が6つのグループに分かれ、まず、携帯電話やスマホについて「友だちの間や家庭で話題や問題になっていること」が話し合われました。共通して浮かび上がった問題は、「LINEやSNSでのトラブル」「ネットいじめ」「個人情報の流出」「ゲームへの長時間の依存や課金」「出会い系サイトでのトラブル」などでした。

 各班の発表の後、次に、「どのような使い方をしていくことが大切か」について話し合いが行われました。そして、各班の発表の後、総合司会の二人の生徒さんがまとめを行いました。

 所長だより004でも書いたように、私は、ガラケーしか持っていません。ですので、私のほうからは、

私はスマホを持っていないしLINEもしたことがないので、むしろ皆さんの方が「専門家」じゃないかと思いますので、皆さんの今日のお話しを聞かせていただいて、感じたこと、連想したことをお話しします。

と前置きしたうえて、「ケータイ・スマホの便利さと影」というテーマで、助言を行いました。

 まず最初に、ケータイ・スマホは、

    ◯ いつでも、手軽に、他の人とコミュニケーションできる

という利点がある一方で、

    ☓ 自分の時間・ペースが守れない

という問題点があるのではないかということを問題提起しました。生徒の皆さんからも、話し合いの中で、「(メール等を)終わりたい時に、どう終わればいいかがわからない」「(ケータイ・スマホでの友だちとのやりとりが増える一方で)家庭内の会話が減る」などの意見が出されていたので、会議の最後のまとめで参加者が共有した「使う時間のコントロール(制限)」が私も大切であると思うと話しました。

 それに加えて、昔はケータイもスマホもありませんでしたが、だからこそ、「思いをつのらせる」「想像する」ということが深まったのではないかということを、ラブレターを例にとって話しました。吉田拓郎は

    もし、寂しさが、インクだったら、今夜、君に手紙を書ける

    ≪吉田拓郎(1978)「無題」≫

と歌っています。「思いをつのらせる」ということでは、最近の歌でも、

    “会えない”そう思うほどに “会いたい”が大きくなっていく

という歌詞が出てきます。ちなみにこれは、それこそケータイのCMですが、桐谷健太が演じる浦ちゃん(浦島太郎)が恋い焦がれる乙ちゃん(乙姫)を思って、三線を弾きながら海辺で歌う『海の声』の一節です。ケータイを使えば簡単に乙ちゃんとつながれるのに…、それともさすがに竜宮城までは電波は届かないのだろうか…。いやいや、そんなことより、ケータイのCMであるにもかかわらず、ケータイを使わずに、会いたい人のことを思い、歌い、叫ぶコミュニケーションの在り方に私は感動しました。後ろで見ていた金太郎が「届くといいね」とつぶやきますが、桃太郎やかぐや姫と一緒に、私もおもわずうなづきたくなります。『海の声』には、こんな歌詞が綴られています。

    空の声が聞きたくて 風の声に耳すませ 海の声が知りたくて 君の声を探してる

    “会えない”そう思うほどに “会いたい”が大きくなっていく

    川のつぶやき 山のささやき 君の声のように 感じるんだ

簡単につながるコミュニケーション・ツールがないからこそ、空・風・海の声に「君の声」を探し、川・山の声に「君の声」を感じ、伝えたい思いがつのり深まっていくのだとすれば、ケータイ・スマホの時代は、思いをつのらせることが難しい時代であるのかもしれないとも思います。

 私もそうでしたが、昔は、恋しい人に会いたくて、話しをしたくて仕方がないときでも、それが叶わぬときは、「思いをつのらせる」「想像する」なかで、自分の気持ちを伝えるための言葉を探し、選び、手紙を書いたのではないかと思います。そんなことを考えながら、私は、中学生の皆さんに、たまにはケータイを横において、ペンを手にして手紙を書くことを勧めたいと思いました。

「ケータイ・スマホの便利さと影」について、私は、二番目に、

    ◯ 情報を共有し、つながり合うことができる

     連絡・反応がないことで不安が高まる

ということを問題提起しました。生徒の皆さんからも、「すぐに返信をしないと誤解を招くことがある」「LINEのグループのことでとても気を使う」など、神経をすり減らしているようすが伺えました。考えてみれば、昔は「連絡できない時間帯があって当たり前」でしたが、ケータイ・スマホは、いつでもつながるからこそ、仲間はずれへの不安や疑心暗鬼を拡大するツールになりかねません。だから私は、「ケータイやスマホに依存しない本当の信頼関係づくり」の大切さを提起し、所長だより004で書いた「面授なくして伝授なし」という言葉を紹介して、「大事なことは直接話をする」ようにしようと話しました。

「ケータイ・スマホの便利さと影」について、私は、最後に、

    ◯ 文字・画像などの情報を手軽に送信できる

     個人情報が守られない

ということを問題提起しました。そして、昔話「鶴の恩返し」の意味するものは何かということを話しました。ご承知のように、ワナにかかった鶴が、おじいさん(または青年)に助けてもらい、人間の女性の姿になって恩返しに来て、娘(または嫁)になったが、「決してのぞかないでください」と言われていた機織りの様子を見られてしまい、鶴は去ってしまうというお話しですね。おじいさん(青年)は決して、娘(嫁)を大切していなかったわけではありません。けれども、大切な人であるからこそ、決して、のぞいてはいけない、踏み込んではいけないことがある、その禁を犯すと大切な人間関係も崩れてしまうことを「鶴の恩返し」は示しているのではないでしょうか。そんな観点から、たとえ悪意はなくとも、他者の写真や情報を扱うことは、「のぞいてはいけない、踏み込んではいけない」禁を犯すことにつながるかもしれないので、慎重にしなければいけないのではないかということを話しました。

 指導助言の内容を準備していたときは、ガラケー世代の還暦前のおじさんの言葉が、果たして中学生の皆さんに届くのだろうかと不安を感じていましたが、何人かの生徒さんがうなづきながら聞いてくださる姿を見て、人間関係の要点は今も昔も同じなんだと思った一日でした。